根比べでお姉さんに勝った話

T〇Cのフェイシャルに行ってきました。

 

たしかZOZOを頼んだ時に入ってたんだと思うんだけど、TB〇のチラシに毛穴など顔のスキンケアが色々できるコースが通常13000円のところ4000円で受けられる、って書いてあったのがきっかけだった。フェイシャルって聞いたことある気がするけどよくわかんなかったから体験してみたかったし、最近美容液の類はもう買い飽きて特に効果を感じられたものもなかったし、ここらでプロに色々教えてもらおうかなー、まあ4000円なら最悪ええやろー、とチラシを捨てることなくいつ予約とろうかとタイミングを見計らっていて、今回。ちょっとイベントも重なるし今だ、とネットから予約を取りそれなりにわくわくしながら迎えた当日だった。

 

入口から中は見えないエステらしい面構え。シンプルで高級感のある店内。さすが有名〇BCだな、と思いながら受付で名前を告げると注意事項の書かれた紙を渡され椅子で待つように案内された。サラッと読み終わってぼーっとしたタイミングで今度はパソコンとベルを渡され、アンケートと個人情報を書いて終わったらこのベルで呼んでくださいとのこと。そんなに広い店内ではないし私ともう1人しか客はいないけど、まあ大声で呼ぶよりベルの方が気楽の人もいるのかなあと思いつつ受け取り、こちらもサラッと記入。ベルで合図しパソコンを回収してもらうと、今度は今まで案内してくれたスタッフとは違う人がきて開口一番「お支払いをお願いします」と言われた。ん〜まあ、まだ何もしてないしなんの説明も受けてないのに金を払うのは若干の抵抗があるけど、そういうシステムなら仕方ないか。施術後に文句言って客が金払わない事とかあるのかなあとエステ業界のあるかもわからない闇を感じながら4000円のお支払いをカードでした。今思うと、施術後に追加料金勝手に付けられてるとかの怖さを客が感じないための配慮だったのかもしれない。でもだとしても、その一言言って欲しかったけど。

 

ウダウダ考えてる間に名前を呼ばれて、少し店内の奥まった場所にある着替え部屋に通された。スタッフのお姉さんに「デコルテまで施術行いますので下着まで脱いでこちらのガウンにお着替えください」と言われ、案内されたロッカーの中にはガウンとスリッパが置いてあった。なるほど顔だけだと思ってたけど首下までやってくれるのかと思いつつ服を脱ぐ。すると外の廊下から他のスタッフの明るい声と客の声が聞こえてきた。「どうでしたか?脇の下の当たりとか」「すごい違います!」「良かったです、そう言っていただけて嬉しいです。ではこちらで……今お着替え中の他のお客様いらっしゃいますが大丈夫ですか?」「ああ、はーい大丈夫よ」「ではこちらでお着替えお願い致します」「はーい」そんな会話の後、直ぐにその声の主であろう客が今から私が着るガウンと同じものを着て部屋に入ってきた。………うーんまあ、別に全く問題ないけど、なんでお前は他の客がいていいか確認をされて、私はされないんだ?廊下と着替え部屋はカーテン1枚で隔たれていてどう考えても中に外の会話は聞こえているし、その配慮はあっていいと思うけど。てかごめん、脇の下ってなに?

なんて考えながらピアスを外していたんだけど、あまりにも付けっぱなしにしてるせいで外すのに手惑ってるうちにさっき聞いた会話なんて完全に忘れた。馬鹿でよかった。なんとか着替えを終えるとさっき着替え部屋まで案内してくれた人が今度は施術室に案内してくれた。

 

施術室は個室で、真ん中に歯医者みたいなリクライニングできる椅子と壁際に机と椅子があって、それなりの広さと清潔感があった。おおいよいよ美容サロンだなと緊張して、受け答えする自分の声が高くなったのを自覚して、さらに緊張した。すぐ施術かと思いきやまずは壁際の椅子に座って今日の流れの動画をみて肌悩みアンケートを答えて待つようにいわれ、10分ほど経つと再びさっきのお姉さんが来て所謂カウンセリングが始まった。「今日気になるのはどこら辺ですか?」「普段どんなスキンケアしてますか?」「まずカメラで肌状態確認しますね」「今のお肌はこんな感じですね」「今回はこのような施術を行っていきます」、と20分程度の『所謂』な会話が繰り広げられた。自分が緊張してる自覚があったのでわざとこちらから崩した話し方をしてみたり、テンプレから外れていけそうな受け答えをしてみたんだけど、お姉さんは一向に型から外れず、かと言って淡々とした口調なわけでもなく、あんまり柔軟なタイプでは無い新人なのかなという印象を受けた。様々な説明が終わったあと、ではこちらの椅子にお願いしますと歯医者椅子に誘導され座り背もたれを倒され、いざ施術開始。「まず拭き取りからです」

 

お姉さんの声と共に冷たいコットンが頬に触れ、顔全体を丁寧に拭き取られていく。次になんかのクリームが乗せられ恐らく洗顔が行われる。最初の拭き取り以外はお姉さんの素手で顔を触られてる感覚があって、なんか他人に顔全体をガッツリ触られまくる体験なんて初めてで、ええ今めちゃくちゃ知らない人にめちゃくちゃ顔こねくりまわされてない?と途中で笑いそうになった。何されてるかも分からないしただされるがままに横たわってたんだけど、急にぽっかぽかのタオルを顔全体に被せられてあつっ?!と思う間もなくタオルの上から顔面をぎゅーって押され、えっなに殺される?と思ったら、力が緩められて今度はそのタオルで顔全体を拭き取られ、また「拭き取りますねー」とコットンで顔を撫でられた。………何言ってるかわからないけど、私も何されてるかわからなかった。

 

ここで気づいたんだけど、このお姉さん今から何やるよの告知が限りなく少ない。地味に3つの脱毛サロン(ないし医療)に通った経験のある私は、視界を奪われた状態でされる施術は常に「熱くなります」「冷たくなります」「〇〇から触ります」等アナウンスがあってからだと慣れてしまっていた。でもこのお姉さんは、熱いも冷たいもタオルの上から顔面プレスも全部急に行ってくる。いちいち確認取られるのも面倒だけど今回が初めてだし顔という敏感な部位だし、少し確認してくれてもいいんじゃないかなどと思ったが、常に顔面をこねくりまされていたので余計な言葉を発する余裕はなくあれよあれよと施術が終わり、では肌状態ご確認ください、とさっきの椅子にまた座るよう促された。(ちなみに顔面プレスの他には、いきなり肩甲骨の辺りまでガッと手を突っ込まれたり首の下まで滴るひたひたパックを乗せられたり首の下にほかほかタオル突っ込まれて銭湯のおっさんよろしく首下をゴシゴシ左右に拭かれたりした)

 

元々今の経済状況で数万の契約をするつもりはなかったし、受付から施術までの中でチリツモの不信感を重ねた私は、これから始まるであろう営業トークに絶対に屈しないという強い意志で壁際の椅子に座った。座ると想像通り「肌の具合はいかがですか?」「どのように変化を感じましたか?」「こちらのプランですとさらに効果を期待でき」うんぬんかんぬん。全ての話に興味を持つでもなく失礼でない程度の笑顔で相槌を打ち、いざプランの具体的な金額を踏まえた「如何ですか?」に私は渾身の「んー、でも今回は。また検討させていただきます」を放った。何度経験しても、この瞬間は嫌な心地がする。ごめんねお姉さん、契約とりたかったよね、でも私もそんなに余裕ないんだ、ごめんね。痛む心と少しひりつく空気。でもよし、これであとは数ラリーしてごめんね顔して帰宅だ、と思った矢先、

 

「では今回の施術はどう感じました?」

 

と手元のタブレットを操作しながら聞いてきた。えっ、………あ、まだ終わらないか。まあでも向上心のある方なのかな、今後参考にってこと?まあここから数ラリーしたら消化の営業トークされて終わりかな。

 

「あー、でもここら辺の毛穴は気にならなくなった?かな」

「でしたらこちらのコースを続けて頂ければより効果を実感できるかと思うんですが。綺麗な肌になるにはこちらがいいかと。」

 

………えっ、あ、え?、怒られてる?まあでもそうか、?13000円レベルのものを4000円で受けてるんだからそう簡単に返すわけにもいかないんだよね、お姉さんも。もう一押し必要か。

 

「んーでも今回はごめんなさい。見送らせてください」

「金額ですか?内容ですか?こちらの内容ですとどこかご不満でしょうか?」

 

あれ、営業苦手そうな新人だと思ってたけど、結構言うこと言えるんだなあ、やっぱり営業って大変だなあ。でもごめんねお姉さん、こっちも曖昧に断ったのが良くなかったよねちゃんと断るね。

 

「んーでもちょっと家に帰ってちゃんと効果を感じてからまた検討して伺います、すみません」

「先程のカウンセリングで効果を感じたと仰って頂けましたよね?」

「えー……そうですね、でも今日色々教えて頂けたのでもう少し家でのスキンケアとか頑張って……

「ですがもう色々市販のものはお試しになられたと」

「はいほんとすみません、でも金銭的に今は」

「ではこちらのスタートプランでしたらこちらのお値段でご案内出来ます」

………あー、じゃあまた検討して来ます。次伺ってもこちらのお値段で契約できるんですもんね?」

「はい。ですが契約当日の施術は出来ないので本日中のご契約の方がいいと思います」

 

だいぶ要約脚色したけどこんな問答を数十分にかけて繰り広げた。じゃあこの35万の契約で、と言って契約してしまった方が楽なんじゃないか。この状況から脱せるなら数万の出費も構わないかも。何度断わっても受理されないから、いま契約するか、立ち上がって逃げるか以外の道が見つからなかった。でも、そう思わせて泣きの契約までが戦略か?と思うとそれに負ける訳にはいかなくて、結局どんなに強い言葉で断っても折れないお姉さん、人間の心を失ったかのように淡々と折れないお姉さん、押しが強い訳でもないしトークがうまいわけでもないのに「なんで契約しないの?」と言わんばかりだったお姉さん、正直お前の施術も説明もイマイチな気がするし効果もそれほどわかりやすくはなかった。最後にわたしが頭を下げてごめんなさいと言うと、お姉さんはすっと諦めて部屋から私を出してくれた。頭を下げたことがきっかけか、時間制限式の出られない部屋だった可能性もあるけど、着替えを済ませ手惑うピアスをつけるのは諦め、受付で領収書をもらい、店の出口で見送られるまで私はもう二度とこのお姉さんの顔を見れず、逃げるように店舗を後にした。

 

最初は普通のお姉さんだと思っていたのに、店から出て小走りになった私の頭の中ではお姉さんは完全に悪魔の蛇のように感じられた。この社会経験も含めて4000円の価値があったのかもしれない。あと体験してわかったけどフェイシャルって言葉オシャレすぎるだろ、ただのめちゃくちゃ丁寧な洗顔だったぞ。みんなもこわい営業には気をつけてな。

君たちはどう生きるのか

※直接的な映画のネタバレは含みませんが、全く本編の情報を入れたくない方は読まないでください。

 

 

ドラクエとかゼルダとかRPGの主人公って喋らないじゃないですか。

基本的に頷きや身振り手振りなどで感情を表現して声は出さない。声が出るとキャラが自我を持ってしまい、プレイヤーには雑音に感じられてしまうかもしれない、自分を主人公に投影して楽しんでもらうために、なるべくフラットな世界観にするための演出ではないかと私は感じています。今では結構主流な演出だと思いますが、最初に「主人公は声やセリフはなくてもいいんじゃないか」と考えた人は頭がいいなと思います。しかし、ゲーム中で一瞬だけ、彼らの声を聞く事ができる瞬間があります。目の前にモンスターが現れても勇者の使命を課せられても仲間を殺されても声を出さない主人公、その彼の声が唯一聞ける瞬間。それは、息遣いです。走る時や戦闘中、微かに少年だとわかる程度に一瞬の喉のなる音と空気の音。私はあれが、めちゃくちゃ好きです。無口な青年が生きていると、息をしていると確かに感じられるあの音。いつも無表情な彼が目的のために歯を食いしばり目に光を宿し力を込めた一瞬に出るあの音。まじで良い。多分私の性癖の一つです。そんなことに、今回見た映画「君たちはどう生きるのか」の冒頭中数分で気づきました。

 

私がこの映画を知ったのはほんの数日前のTwitter。「ジブリの新作が明日公開されるのにそれをほとんど誰も知らない」というツイートを見て知りました。昔よく本屋で見た「君たちはどう生きるのか」丸メガネをかけた少年のイラストが大きく描かれた表紙だったと思います。それを原作にした宮崎駿の新作が何の話題性もなく、突然明日公開されるらしい。(今調べてみたら本の「君たちはどう生きるのか」と今回の映画は全く関係がないそうですが、そんなことを事前に調べてネタバレを踏む事が怖かったので本原作なのかも、くらいのテンションで劇場に行きました)流石天下のジブリ宮崎駿。今回の作品のまず一番強い掴みは、この大SNS時代で全く情報開示せずプロモーションもなく、バズリなんて言葉を一蹴するかの如く、ただ宮崎駿が作った作品を公開する、というものでした。結果としてその無骨っぷりが話題になっていましたが、それさえ監督自身は不本意というか気にしてもいなさそう。マジで元気なうちに好き勝手作っとこう、みたい人間がいるなら見れば、という監督の意思と、それでも客は入るだろうというジブリ運営たちの強い自信を感じる作品でした。

 

私が劇場に足を運んだのは日曜の昼、しかもららぽーとに併設しているタイプのTOHO。このいかにも玄人向け作品を見るなら絶対に選ばない方がいい時間と場所を選んでしまいました。でもいくらジブリとはいえ、ネット上では散々「宮崎駿の原液」だの「別に楽しくはない」だの言われていて、極め付けはあのシンプルかつワクワクしない図書館でしかみた事ないような児童書の表紙にありそうな映画ポスター。そんな作品を公開ほやほやで劇場に見にくるやつは、皆それっぽい面構えをしているだろう。私みたいにこだわりが強そうなミーハーだらけであってくれ。そう思いながら劇場に入ってまず目の前に座っていたのはガキ2人の家族連れ。思わず肩の力が抜けました。キャッキャ言いながらポップコーンを貪る子供。そしてそれを咎める事なくスマホをいじる親。何しに来たんだよ、お前ら。終演後、あいつらはどんな顔をして帰っていったんだろう、少しだけ気になるな。

 

ほとんど満員の劇場で私は老夫婦と若いカップルに挟まれた席に着きました。私はTwitterでこの作品を知りましたが、この劇場を埋めている人間たちは一体何を見てこの作品を知ったのでしょうか。みんなツイッタラーなのかな。いかにも情報に疎そうな年代もいるけど(大失礼)、そんな人たちも含めてノープロモでこれだけ席を満杯にてしまう「宮崎駿」というネームバリュー。改めて化け物なんだな、と映画泥棒の時点で鳥肌が立ちました。そして、始まった映画本編。アスペクト比16:9。映画素人なので詳しくはわからないですが、いわゆる映画館の横長なスクリーンから両端を残し、比較的テレビサイズに近い比率での映像、そして遠くから聞こえるサイレンの音。なるほど戦時中の話か。一瞬で与える情報量だけで感覚的に背景を読み取らせる、私は一部しか感じ取れていないだろうけど約2時間の至るとことでそういう力をたくさん感じました。そしてその力によって私が何より心を掴まれたのは、主人公です。声優オタクあるあるですが、アニメキャラが喋り始めた瞬間にその声は誰なのかを考えてしまいます。しかしジブリ作品は俳優起用も多く、今回も例に漏れずその類の声の主人公でした。しかもこれは私の感想ですがこの主人公の声を担当した方は、俳優の中でも若手、まだ自分の型がない真っ向勝負でぶつかってくるようなお芝居の方で、それが特に主人公と重なり、刺さりました。また、冒頭の主人公の口数の少なさ。これがこの作品が私をより引き込む要因だったと思うのですが、これにより彼の僅かな息遣いがより浮き上がって聞こてきました。そう、RPGの主人公理論。しかし声だけでなく、セリフが少ないからこその表情の動きや行動の意図。何でもモノローグで喋ってくれる主人公よりこちらに考える余白を与えてくれて、それがよりリアルの人間らしくスクリーンに写り、かつ私の隣に座っているようでした。ちなみに私が本編で心を揺さぶられたのは寝息が聞こえてきた寝顔のシーンとジャムトーストを頬張るシーンです。非常に様々な感想がある作品だと思うので私以外の人間がどのシーンを山場に感じるのか分かりませんが、取り止めのないシーンの様で、胸に刺さるあのシーン。むしろ胸に刺さるように仕向けられたように感じました。その2シーン単体の画力や音力もありますが、それよりもそこまでのシーンがたくさんの意味を持っていたのだと思います。これが演出ってやつか。

 

エンドロールが流れ、照明がついた後、一人で映画を観た後の皆さんはどの様な行動を取りますか。作品にもよると思いますが私は今回、絶対に誰の感想も聞きたくないと感じ、光の速さでイヤホンをしノイズキャンセリングモードをONにしました。誰かと感想を共有したり考察サイトを読むのも非常に楽しい作品だと思いますが、とりあえず今日1日はこのブログを書いて一人で浸りたいと思います。そしてここから愚痴です。ずっと隣でポップコーンを食いながらあり得ないタイミングで笑い声をあげていた隣の若いカップルの男。お前その隣の女どうやって落としたの?てめえみたいなのがいるから公開してすぐの映画館って行きにくいんだよ。あとエンドロール終わった途端「意味わかんなかったな」って言ってるガキ、意味わかんないものを楽しむ覚悟がないのに明らかに意味わからん作品をわざわざ劇場に見に来るな、せめて少しだけわかったようなフリしてろよバカ丸出しすぎるだろ。浸ってる大人たちの気持ちも汲め。

 

レイトショーより昼間に見ることをお勧めしたい作品でした。でも家族連れの多そうな総合商業施設併設劇場はやめておけ。

みんなも観に行こう。

通勤

理想の通勤時間アンケートというものを先日Twitterで見かけました。

10分以下、10-30分、30分以上、の選択肢があって真ん中の時間が1番票数を獲得していました。私も多数の人間と同じくだいたい20分くらいが理想かなと思いそれ通りの場所に家を借りているのですが、今だけ期間限定で約1時間の通勤を強いられています。

一人暮らしをする前は実家から1時間20分かけて毎日通勤していたので、1時間はそれほどの苦痛ではないだろうとタカをくくっていたのですが、それが間違いでした。なんと、めちゃくちゃ快適。すこぶる快適。通勤時間を理由の一つに一人暮らし始めたくせに、これじゃ今の貯金ゼロ限界社会人生活をなんのためにやってるのかと思います。まあ他にも得るものは沢山あるので一人暮らしはやめませんが。先程の理想通勤時間のアンケートでは、1位が10-30分、2位が10分以下、そして大差をつけて1時間以上だった気がします。ここでこの結果を振り返るとなんか天邪鬼な感じがして良くないですが、続けます。では何故、大半の人間が嫌う長時間通勤が私にとって快適なのか。それはあまりにも簡単なことなのですが、殆ど座ることができるからです。わかります、座ることができるからといって長時間拘束され、起床時間が早まることで睡眠時間を削られ、他人と至近距離で箱に押し込められることの何がいいのか。でも、立っている時と座っている時の圧倒的差は単純に疲れないだけではありません。ある程度自由を拘束され、しかも決められた時間の中でただ座っているだけの時間があると、何かをしようと思えるのです。しかも毎日決まった時間、朝と夜の2回ずつ。いきなりポンと椅子に1時間拘束されても、なんとなくTwitterをみてネットショッピングして、ダラダラと生産性なく終えてしまいます。しかしこれが毎日同じ時間に、と言われると「ならこの時間を使って何かを進めよう」と思い、電車で椅子に座った途端にSNSをスクロールするのではなく、理想の行動をしようと思えるのです。例えばドラマを見ようと思えば一日の往復で2話ずつ見れますし、読書をしようと思えばそれなりにいい速度で読み進められます。どちらもただの娯楽ですが、私にとって娯楽を享受することは結構ハードルが高いかつ重要なことなので、これは結構画期的なことです。

ですが、これを実家暮らしの延長でもできていたかと言われると難しいなと思います。つまり私が今1時間の通勤時間を楽しめているのは、20分の通勤時間を生産性なく半年以上経験して時間を有効活用したいという気持ちが強くなっていた、という地盤があってこそです。私は想像力が皆無なので経験しないとわからないし、そのために環境の変化を沢山したいな、と常々思います。話が飛躍し過ぎだとは思いますが、結局何事もそこに落ち着くなあと、思います。しかもそれは昔の方がより思っていた気がします。え?それに今、気づいて恐怖を感じました。環境の変化を望んでいたのが過去の私しかいないなら、私はその理想を無視していることになります。社会人として、特に私の職種は数年では意味が無いと思っているので、コロコロと環境の変化を求め続けるのは難しいことではありますが、環境は職場だけでは無いはずです。もっと考えて進化しようぜ、成長したいぜ。自分に飽きる前に自分を振り返り考えを改めることができるのも、長時間通勤のいい所ですね。ちょうど新橋に着いたので終わりにしようと思います。

すずめの戸締り初回感想

 

ブログのネタが映画のレビューしか能がないあみゃです。お久しぶりです。

 

今日は新海誠監督最新作すずめの戸締りを観てきました。

私が新海誠監督と出会ったのは小学生の頃、今でこそ景色の描写が美しいアニメ作品(特に、電車とかコンビニとか日常的な風景がすごく細かく書かれているような)はかなり増えましたが、当時は実際に存在する場所がアニメに登場することすら珍しいことだった気がします。それが当時私にはなんかワクワクできて、話の内容はよくわからずともとりあえず見よう!と思って見てしまったが最後、私のこじらせ人生はそこから始まったのでした。

 

前作までの話をしているときりがないので、早速今作の話に移ります。

綺麗な映像で幻想的なSF作品をイメージして見に行ったけど、とりあえず今回のテーマは生と死なんだと思います。そう思って聞くと、主題歌の歌詞もなるほどね…となります。

 

内容に触れずポイントを3行でまとめると、

①極めて現実にリンクした事象と非現実的な出来事の交錯

②音響と映像の暴力的すぎる演出

③映画内で広告に使われている(使ってもらっている?)企業の量がえげつない

といった感じです。

何を言ってもネタバレになりそうなので、この3行についてだけ書いてあとは見に行ってくださいという感じにします。

 

①極めて現実にリンクした事象と非現実的な出来事の交錯

時間軸や場面設定は私たちが暮らしている現実世界と同じです。当たり前に登場人物はLINEを使っているし、立教の学生証が白地に紫のデザインで、ローソンに色んな味のからあげクンが売っています。(からあげクンについてはまた後ほど言及)ただ、この映画の企画書が完成したのが2020年4月だったので、コロナは出てきません。ただ、コロナに関して作中で特に言及はされていないものの、登場人物の家の玄関に手指消毒の四角いアルコールが置いてあったのを私は見逃していない。もはやない方が違和感になってしまったアルコール消毒を気持ち程度に出演させてくれたのでしょうか……

現実にある場所や物がそのままアニメに出てくるってだけで、どうしてこうも人はテンションが上がるのか。その謎を解き明かすために、今回はアラスカにやってきました。ひとつ文句があるとすれば、作中に登場した病院は慶応ではなく医科歯科でした。モニターに波形が出ているのに心電図のコードは繋がっていませんでした。お前その波形はどっから受信してんだ。てかなんでコードを書くところまでいったのにそれを繋げずにぶら下げちゃったんだ。そのくらいです。

秒速5センチメートル(a chain of short stories about their distance)の時から新海誠監督はとにかく駅構内や電車内の描写を緻密に書いています。電車=エモの象徴であるという彼の価値観があるのかもしれないし、私が路線図とかが好きなのはその影響が少なからずある気がします……

しかし、予告編をチラ見すればわかるように、普通にSFアクション要素も多いです。基本的に私はそういう作品があんまり好きではなく、限りなく現実的で日常的なものが見たいのが本音だったので今作にはそんなに期待していませんでした。秒速5センチメートル(a chain of short stories about their distance)では物が歩いたり動物が喋ったりしません。超能力もありません。新海誠監督の集大成にして最高傑作とまで謳われていることに疑念を抱きながら見に行ったのが正直なところです。(急なピカクロス)

ただ、私(わたくし)の解釈と致しましては、作品の全てが現実に起こったことでした。現実に起きていることを、比喩的に、幻想的に、情緒的に、一見素っ頓狂に見えるような設定で見事に表していたのではないかと思います。集大成という表現が妥当であるとすら感じて帰ってきたので、思わず「新海誠、こう来たか(CV:孤独のグルメ)」と思ってしまいました。だがしかし話が重い。とにかく重い。地上波は厳しいんじゃないかというくらい重い。満足感が大きい代わりに、精神が疲弊する、最近の若者の言葉で言うとSAN値が削られるような映画でした。

ただ私がどうしても伝えておきたいのは、主人公が旅路でたくさんの優しい女の人出会うことが非常に尊くて素晴らしいということ。これについては昨日観た映画が「やはり、男は本当にクソ」という結論しか得られなかったので、より一層「女って最高👍」と思い直すこととなりました。

 

②音響と映像の暴力的な演出

前作までに引き続き、今回も音楽はRADWIMPSが担当しています。個人的に好きなのは、エンドロールやCMで音楽:RADWIMPSという表記がされているところです。個人名ではなく、グループ名で書いてあるのがなんとなくカッケェし、アチィ〜。って思います。(KONAMI

竜とそばかすの姫などがそうだったように、映像がメチャクチャキレイで音楽がメチャクチャカッコよくて迫力があると、正直もう詳しい内容はどうでもよくなったりします。それだけで人の感情は動きます(それを感動といいます)。もちろん竜とそばかすの姫は内容も面白かったですが…

新海誠作品に限らず、私は作中でタイトルが画面いっぱいに出てくる一瞬がメチャクチャ好きです。伝わるかな。特に音楽が止まってタイトルがヒュンッて出てきたり、逆にタイトルと同時にバーンと主題歌が流れたり、そういう迫力に非常に弱い。今作は、そういった言わば感覚的な感情への訴えかけの演出の連続であり、その暴力がこの作品の充実度を何倍も上げていると思います。特に、君の名は。ではRADWIMPSのかっこいい音楽が流れて思わず圧巻というシーンが多かった一方で、今作はルッル〜ルルルル〜のという謎の落ち着いた戦慄で心に訴えかけてくるパターンの音楽です。明るく盛り上げることも、静かに山場を飾ることもできる天才、野田洋次郎を皆様今後ともよろしくお願い致します。

 

③映画内で広告に使われている(使ってもらっている?)企業の量がえげつない

これは本当に、映画を見ながらこんなことばっかり考えてる自分がいやらしかったが、街中のチェーン店や実際に売っている商品が今までよりもさらに多く登場して、権利の問題ってどういうふうに成り立ってるんだろうという疑問をずっと感じていました。マクドナルドに関しては今回ガッツリCMでコラボしていて、ハッピーセットのおもちゃまで出しちゃってるくらい癒着がありそうな感じでしたが、まさかの普通に作中でマック食べてました。これみよがしに子どもがえだまめコーン食ってました。あれ美味しいよね…

あとは先述したからあげクンとか、果汁グミも出てきたし、auの看板とかもあった気がする。その割に牛乳パックのパッケージは実在するか謎のよくわからんデザインで、そういうロゴとかの問題ってめちゃくちゃ大変なんだろうな…と感じながら見てました。でも、そのひとつひとつを忠実に書いている人がきっと何人もいて、そういう細かい描写を私は見逃さずにいたい。本当に今日2時間通しで見るの疲れちゃったからもう映画館では見ないかもしれないけど、いつか配信とか出たら小物に注目するだけの上映会を実施したさあります。

 

サクッと書こうとしたのに3000字もいってしまった。ここまで読んでくれてありがとう。あんた暇なんだね。ノーストップで書いたので誤字脱字あったらスミマセン。

極力内容の核には触れずに書いたつもりですが、ちょっとでも見ようかなという気持ちになってくれたら3000字が報われます。是非映画館に足を運んで私と語り合おう。

 

 

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認識の話

たとえばのはなしをしますね

 

たとえば、日中、外に出て上をみれば空があるよね。まぁ大体の人が空は青いって言うと思います。晴れてる日だと仮定してね

 

たとえば、信号機があるとします。1番左の色は何?🚥

そう、赤ですよね。


たとえば、道端の植物をみてみると、大体のものが緑でしょう。


でもこれってほんとにみんなが同じ色を見てるのかなっていうのが今回のお話です。どういうことだよ!ってなるとは思うんですが、、

 

 

たとえば、この色をAとおいて話をしますと、みんな幼少期にAを青って呼ぶんだよーってインプットされますよね。色を学ぶ機会がいつなのかはわかりませんが


でももし私に見えてる色がみんなと違ったらっていう話で、

何かしらの理由で、みんなにとって青と見えているこのAという色が、私にとってはオレンジに見えているかもしれない。けど、この色を青と呼ぶと教わった。ならこれは青色っていうんだね。っていう


この仮定で話を進めていくと、たとえば虹。

赤橙黄緑青藍紫

この7色からなっているということはご存知かと思います。

しかし、見えている人によっては

黄青桃赤紫白黒

の可能性もあるのではないでしょうか。?

でもそれは、その人にとっては赤橙黄緑青藍紫の虹であって、、、???


別にこれは、みかんを見てこれは青いたべものですって言っている?え?空が紫??え、あー、ゆいちゃんってやっぱり色盲だったんだ……っていう話ではなくて、なんていうのかな、こう、フィルター的なものを通して見てる可能性の話というか、、、?

ばかみたいに説明むずし。


んー、、わかりやすく言うならば、(わかりやすいとは言ってない)皆さんご存知の赤シートありますよね、暗記のお供のあの赤シートです。速単とかについてたあれ。なつかし。

あれを目の前に掲げてあれ越しに世界を見ると世界が赤く染まると思うんですよ。

そりゃそう。

あそこまでじゃないけど、もしかしたら何かしらのフィルターのようなものがかかってて、みんなと私で見えてる世界や色が違ったら?っていう話。

私たちが黒と認識してる色は同一の黒なんですか?って

わたしにとっての黒と、あなたにとっての黒は全く同じ色ですか?って

もし違ったとしても確認する術はなくない?

もしそうだったらちょっと悲しいなって。

だから、道端に咲く赤い花を見た時、本当に同じものを認識できてるのかな、同じだけの感動を味わえてるのかなっていうことだと思う、

伝わったかなこれ、、

 


自分でも何が言いたいかわからなくなるな

書いてる私もちょっとずつ混乱してきてる

けどそもそもたぶんこのはなしは破綻してるものなので、そういうものだと思って読んでくれて構いません。なんだよ、、って思うよねごめん。

 

 

そういえば男の人って女の人よりも色彩を細かく捉えられないみたいな話ありませんでしたっけ?あれとはちょっと違うけど、似たようなサムシングを感じた気がした

その男女差がある理由としては、X染色体にある青色オプシン、緑色オプシン、赤色オプシンという3つのレセプターが色彩を感知するらしいんだけど、赤色オプシンだけは多型らしい。で、女性でこの赤色オプシン遺伝子をヘテロに持っている場合、橙色よりの赤色も感知できるようになるらしくて、そうすると男性は青、緑、赤の3つの色覚を持つのに対して、一部の女性は青、緑、オレンジ、赤の4つの色覚を持つ。

っていう話とか、昔は男性は狩りをしてて女性は採集をしてたから男性より女性のほうが色の違いを見分ける能力が大事になって、視覚野のニューロンの数に差がでて、このニューロンに影響を与えるテストステロンという男性ホルモンが動体視力と色覚に影響をあたえる。

っていう話とか。ふむふむ、、


いや、なんとなく調べてみたけど、この話が何に関係あるの?って感じになっちゃったね。意気揚々と自発的に脱線したな。まぁただの私の自由研究とでも思ってくれ(?)真面目に読んでくれたそこのあなた。ありがとう。500しゅきしゅきポイントを差し上げよう。てれってってーしゅこーんぴーん。

 


でも、これを書いているうちにふと思ったんですけど、これって色だけじゃなくて万物への認識の話に発展することができるのではないかなと。


私も書きながら考えて考えながら書いてるので?おかしい部分があるかもしれないんですけど、

とある出来事が起きた時や、何かの事象を見るとき、これまでの人生経験(価値観?)によってできたフィルターをみんなそれぞれ持ってて、そのフィルター越しに物事をはかるからこそ、それぞれの意見や考えが生まれる。

え、お前にはこれがこう見えてんの!?私こう思ってたわ!ってよくあるこれも、言ってしまえばフィルターの違い、つまり人生経験の違いによるもので、

そのフィルターも、もし全く同じ人生経験を送っていたとしても人によって感じ方が異なってくるだろうから一つとして同じものはない。?

だからこそみんな別の考えや意見を持っていて、それをいろんな方法ですり合わせたりしていくのが人間なのかなっていう話。


これで言えば、愛フィルター。ここでは、一般的にみたらいや可愛くないやろっていうようなものでも、これまでの人生やその人の背景やキャラクターをもとに、かわいさを感じられるものだとします。これも一種の認識なのではないでしょうか?TLの人間とそれ以外の個体では、TLのかわいい動画をみても、抱く感想が違う。そういうことです!!!きっと!!!伝わった!?!?

 

 

と、まぁこの話もう少し詰めたいんだけど、ちょっとこれ以上うまいこと説明できる気がしないので、この辺にしておきます。

価値観は人生経験から生まれるものなのかな。

んー、いい言い回しが思いついたらまた書くかもね。

全く同じ考え方や捉え方をする人はいないけど、それが近い人とか、全く別の人とか、いろんな人がいると思う。どういう人と一緒にいるのが自分にとっていいのかはわかりませんが、同じ時間を過ごすことでフィルターが似ていくっていうのもいいのかもしれないです。


長くなりましたが、本当にみんなが同じ色を見ているのか?っていうところから始まったお話でした。

最初に言いたかったのは本当に色の話だけだったんだけど、いつのまにか話が発展しててびっくりしました。

色の話はかなり前からずっと考えてたことだったから文字に起こせて楽しかったけどむずかったわ。認識の話なのかは怪しいですけども。


ふわふわしたお話になってしまった☁️

 

 

(最初の信号の話で最初、右と左を間違えて書いてたのは内緒です。)(\よっ左右盲!/)(#一生治らん左右盲)

スマホを盗まれました

タイトル詐欺っぽいので先に結論ですが、現在私のスマホは無事に手元にあります。よかったね、めでたしめでたし。

さて。本題もオチもわかった話をどう面白い文章にしていくんだという話なんですが、クソ長ツイートだと思ってサーっと読んでください。

 

今日、私は母と某ショッピングパークに行ってきました。それぞれ好きな店を回った後、最後にLINEギフトで100円で手に入れたゴディバの1000円ギフト券を使うためにゴディバ前に集合しよう、と打ち合わせて母と解散。私はモール内を最近買った少しヒールの高い靴でカツカツ言わせながら満足するまで巡り、良さげなジーンズを一本買いました。しかし、店を出て時計を見ると集合時間までにはまだ少し余裕があります。歩き回って足も疲れたので、少し早かったのですがゴディバ前まで行き、近くにあったソファの様な椅子で休憩する事にしました。

 

二つ隣の席には、明らかに連れの買い物に飽きて足を休めに来ました、というなりのおっさんが座っていましたが、まあそんなおっさんに興味はないので私はソファ椅子でおまえらのツイートを遡り、適当に時間を潰します。すると少し経って母から「今からゴディバ行くよ」というLINE、遠くに見える母の姿。私はスマホ上着のポケットにしまって、母とゴディバに向かいました。

 

あやね家に献上したのと同じクッキーを購入し、ホクホクと退店。ゴディバは2階なのですが、少し3階に用があったのでエスカレーターに乗り3階に移動。動く階段を降り3歩ほど足を進め、一日に5億回やる自然な流れで上着のポケットに手を突っ込みスマホを取り出......スマホ.......あれっ......ない!?

 

いや、まだ慌てるのには早い。鞄を見たか?ズボンのポケットじゃないか?これからの季節は服に収納場所が増えてスマホを無くしがちだからな、慌てるな。冷静を装う私の脳内が一瞬で様々な事を考える中で、一つの最強解決方法を見つけます。AppleWatch。こいつは近くに自分のスマホがない時は赤いエラーマークが付くので、これを見れば一発です。気持ち的には恐る恐る、でも焦った心臓に合わせて素早く腕をまくると、そこには赤く光る林檎時計。終わった。

 

だがしかし。この時にも私は冷静でした。だってついさっきソファ椅子でスマホを見ていたんだから、落としたのを探すにしても本当に小範囲で済むはず。踵を返して、まずはゴディバ店内で店員さんに落とし物を聞く事にしました。エスカレーターを降りてゴディバ店内に着くと、あれ?アップルウォッチに緑の通知が!緑は近くにスマホあるよ表示なので、これは勝ち。なんだあここで落としたのか。私は勝利を確信した顔で店員さんに「スマホの落とし物ありませんでしたか?」と聞きました。さっきの今だし、すぐに「あ、ありましたよ」と言われて一件落着だろう。しかし、店員さんは何やら困った顔のまま、一向に奥にスマホを取りにいきません。「すみません、なんの落とし物ですか?」「あ、えっと、スマートフォンの......」「うーん、ちょっと今日はそういった報告は受けていないですね」「あー......なるほど、すみません。ありがとうございます」

 

やばい、そろそろやばい気がしてきた。もう一度時計を見ると、今度は赤表示。あれ???なんだよ、さっきの態度は思わせぶりか???というか、こちらが動いていないのに表示が変わるということは、スマホ側が動いているということ.........あれ、もしかして、盗まれた?

 

いやいやまさかそんな。とにかく総合案内所に行こう。落とし物として届けられる途中だから動いているのかも。私はそう楽観的に言い聞かせて店を出ましたが、その様子をずっと隣で見ていた母が「あの白い服を来た女の人、怪しい」と、だいぶ遠くでショコリキサー(ゴディバで売ってるうまそうな飲み物)を飲んでいる女を指差して言いました。え、何どうした?怪しいってどういうこと?私が混乱した頭で聞くと、どうやらその女は、私たちが買い物し終えた頃に店に入ってきて、私が落とし物を探しに戻ってきたくらいで店を出て行ったらしいのです。私は気が動転していて他の客まで見ていなかったけど、さすが母。もうその目は女を追う気満々。スリを確信している様子。しかし、なんだかんだ日本人の優しさみたいなのを過信している私は「いや、でも流石にないでしょ。とりあえず総合案内所行こう」。はあ、まじでアホ。

 

店近くの例のソファ椅子周辺ももちろん確認しつつ総合案内所に行くと、綺麗なお姉さんが待っています。こんなにこの方達が頼もしく見える瞬間は何か無くした時よな。でも、やっぱりそこにスマホは届いておらず、お姉さんは丁寧に私のスマホ情報をメモして遺失物届を書いてくれ、見つかった時には母のスマホに電話が来る様にしてくれました。(「スマホケースの特徴はありますか?」「えっと背面が透明で」「何か挟んだりしていますか?」「あ、えっと、服のタグを挟んでます......」「服のタグ?ですね、かしこまりました」「ありがとうございます......」)

 

さて、ここからはもうどうすることもできません。一度性善説に甘えた私は、とっくに見失った白い服の女を追うこともできず。そもそもどこかに落ちているのか、誰かが落とし物として届け出してくれる途中なのか、盗まれたのか、それさえもわかりません。唯一の希望は、スマホが近くにあったらアップルウォッチに緑の通知が来る、という事。盗まれていたらもう建物内にはないかもしれないけど、これしかない。私は腕を凝視しながら、モール内をひたすら走りました。

 

しかし数十分後。私は呆れた様子の母の隣で膝に手をついて、ぜえはあしていました。私以外の全人類がこの方法の絶望さに気づいていますよね。無理すぎ。もう大人しく家に帰って電話を待つか、と諦めかけたその時。母が口を開きました。

「Zenlyだと、まだここら辺にいそうだよ」

Zenly!!!!!!!!お前!!!!!!!!!愛してるよ!!!!!!!!!!!!

 

そうです。私はあのクソ重束縛アプリを親とも共有しているので、母のスマホから私のスマホ位置がわかるのです。なんで今まで気づかなかったんだ?やはり母はさすが。というか冷静さを失った頭は怖い。しかもZenlyくんによると私のスマホは50分近く動いていない様子。正確な位置情報は結構ガバいのであてにならないにしても、動いてるか静止してるかは結構正確なはず。あれ。でも、もし落として放置されているならあの小範囲しかありえないのに、あの場所には絶対に落ちていなかった。なら盗んだ奴がずっと同じ場所に滞在している?

母「美容院、マッサージ屋、靴修理。飲食店は薄いかな、アイツはショコリキサーを飲んでいた」

私「なんなんアンタ、探偵!?」

正直私はこの時点でも盗難を信じ切れていなかったけど、あまりにも母がその可能性以外を捨てていたので、私たちはモール内の怪しい店の前を巡りました。アップルウォッチのもう一つの機能で、近くにあればスマホから音を鳴らせる、というのがあるのでその音鳴らしボタンを連打しながらひたすら走る。お忘れかもしれませんが、私は今日ヒールを履いています。そろそろ足も限界。しかしここで更なる悲劇。

母「あ、ゆりのスマホ動いたよ!!!」

動いた!?!?!?!!?それはやばい流石にやばい!!!もう誰かが持っている事が確定したなら、性善説脳をかなぐり捨てるしかない!!!私は母のスマホを引っ掴んでヒールをガツガツいわせながらモール内を全力で駆け抜けました。Zenlyのガバ位置情報も信じるしかない、どこだ、どこにいる!?!?!

Zenlyくん「駐車場やで」

それはまずい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!もう無理かも!!!!!車に乗られたら勝ち目なさすぎる!!!!!でも、立ち止まるわけにはいきません。若者のスマホ依存は凄まじいのです。というか今更述べますが、ロックがかかっているとはいえカード情報も各パスワードも大切な人たちの個人情報まで、なんでも入っているスマホなのです。か弱い声で悪態をついている母を置いて、私は朝の駅ダッシュより本気のダッシュをしました。

 

しかしZenlyくんのざっくり位置情報はあまりにもあてになりません。こちらがいくら走ろうと、私のかわいい幼少期アイコンには全く近づかない。というかよく見ると私のスマホ移動スピードは平均して約4kmで、車ではなさそう。じゃあ追いつかせてくれ、というか私の(母のスマホの)位置全然動かん、何?とキレそうになっていると、ようやく私のアイコンがまた止まりました。しかも今度は建物内。私はだいぶ後ろをヘトヘトになりながら歩いてきている母を回収して、また建物内に戻ろうとしたその時!

アップルウォッチくん「スマホ近くにいるやで!」

Apple Watch〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!私の指は音鳴らしボタンを連打します。しかし、

アップルウォッチくん「ごめん見失ったわ」

Apple Watchくん!!!!!!!!!!!!!(ポのオタクくん!のテンションで)

いや、このチェイスのくだり長すぎん?もう描くの飽きたわ、やめよ。とにかくこの後また走ったりなんだりして、数分後。母のスマホに電話が来ました。かけてきたのは総合案内所。スマホが見つかりました。ミッションクリアです。

 

汗だくだく膝カクカクで総合案内所に戻ると、警備のおじさんが私のスマホを鍵付きポーチに保管して待っていてくれました。身分証明書を出して「背面には服のタグが入っています」という確認をもう一度して、無事なんの傷もついていないロック解除された様子もないスマホを受け取りました。そして最後に、一番気になる事を聞いてみました。

私「あの、これどこで見つかりましたか?」

警備員さん「駐車場に行く道の途中のカート置き場にありました」

 

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後から行って写真を撮ってきたんですが、私が駐車場に向かう時に通ったのと同じ道のカート置き場でした。ここを通った時は緑の通知が来なかったから、少なくともその後に置かれたんでしょうね。というかここで発見されたということは確実に誰かがここに運んでるじゃん、ガチで盗まれてるじゃん。ふざけんなよクソが。

 

結局どこで誰に盗まれたのかはわかりません。やはり母の言っていた白い女なのか。それとも、ソファ椅子で上着にしまったはずが落としていて、二つ隣にいたおっさんが奪ったのか。どちらにせよ、若者のiPhoneなんてほぼ100%ロックがかかっていて、それが解けない以上なんの価値もないのはわかりきったことでしょうが。諦めてあんなところに放置するなら最初から盗むな。クソー。でも私の注意不足というのも間違い無く原因の一つなので、怒りきれません。今後は気をつけます。とりあえず、アップルウォッチから遠くにあるスマホを鳴らす方法もあるらしい事がわかったので、次回からはそれを活用しようと思います。次回なんて無いに越したことはないですが。

 

最後に散々振り回した母に何か奢ろうかとしたのですが断られ、二人フードコートでうどんをすすったのですが、つゆをぶちまけました。本当に今日はついてない。

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こんなに長いブログに付き合っていただきありがとうございました。

 

 

追記

家に帰ってからコンタクト液の入ったケースもひっくり返しました。厄日です。

思考ロック

一年近くサボっていたのに連日投稿なんて。どうもゆりです。

 

今日バイト中に新卒の男(以下A)と店内のテレビを見ていたら、氷川きよしがバラエティ番組に出演していました。ご存知の方も多いかと思いますが、氷川きよしさんは最近髪を伸ばしてメイクもし、女性的な服装をされています。立ち居振る舞いも優雅なのでマスクをしているこのご時世では、なんの疑問も持たず女性に見えるでしょう。町ロケでご当地グルメを美味しいと頬張りながら口元を上品に隠していた氷川きよしを見たAは、「え、これ本当に氷川きよし?」と動揺を隠せない様子でした。

 

私は以前NHKかなんかのインタビューで、「女性の格好でいる方が楽」という様な話をしている氷川きよしの姿を見ていたので、私はその話をAにしました。するとAは「へーそうなんだ」と頷き、「でも、なら今までは無理して男の格好をしてたのかな」と首を傾げました。これは私の個人的な考察ですが、氷川きよしはおばさま世代のファンを多く抱えているし、メディアに露出しおばさま方に囲まれる中で心境の変化があっただけで、以前の男らしい衣装などに抵抗はなかったのではないでしょうか。いろんな活動を経て、服装の趣味が変わってきたんじゃない?とAに伝えると、これにも「なるほどね」と彼は頷きます。しかしまた少し考え込む様に数秒固まった後、「でも、それで男を好きにはならなくない?」と言いました。

 

私たちの世代は、比較的多様性を認めジェンダーなどにも理解がある人が多い様に思います。ここまでのAとの会話でも、Aは今までジェンダーについて考えてこなかっただけで、偏見のない考え方をしているなと私は感じていました。しかしそれでもAは、女らしい格好をする=女になりたい、であると同時に、女の格好をしたら男を好きになるところまでがセット、という考え方が無意識化にありました。私が「したい格好と好きになる性別は関係なくない?そもそも、女が女を好きになることもあるけど」というと、Aは本当に驚いた様子で「え、そうじゃん!確かに!」と納得した様子でした。一人の人間の考える幅を広げられた幸福感で私はその時満足しましたが、いくら多様性を認め平等を重んじようと思っていたとしても、そもそも考えが及んでいないことに対していつの間にか思考ロックがかかっている事はきっと誰にでもあるな、と恐怖を感じました。

 

私は女子校育ちの腐女子として、ドーナツ型の偏った平等感覚を持っています。更にTLという多様性を重んじまくる団体に所属したことで、現在の様な多様性平等大切マンの脳みそを持つ事になりました。と、今までは思ってきました。具体的に今の私に何が足りないのかはわかりませんが、その「知らない世界」に直面した時、前述の自負に胡座をかかず、きちんとその世界に立って感じ、考えていきたいな、と感じました。

 

追記

ちょっと調べてみたら、氷川きよしさんは以前から女性的な格好をしていたいと思っていたそう。男性的な格好は苦痛だったらしいです。考察大外れ!失礼しました。