歌詞不可視

心は誰にも見えないのだから

見えるものよりも大事にするといい


back numberの水平線という曲の歌詞の一部です。

 


今回、譲れないものを考えた時、信念なのか、はたまたものなのか、?

自分で自分の中を探るような感覚に陥りました。


人って流動的であると思ってて、ここではこう思っても違う場面ではこうやって考える、みたいなことしょっちゅうじゃないですか。

その中で一本筋が通った人間であったならよかったんですけどそうではなくてですね。

そんな、ま〜がりくねった〜道の先に生きている私の譲れないもの。

自分自身なのではないかと思ったんです。

 


おー!ここで宮本選手、大きく出ましたねー!という感じではありますが、

たとえば私は絶対1人の時間が大事です。ないと死にます。譲れません。

たとえば私はマイペースでやっていくのが好きで人に指示されてばかりだとその人を殺しちゃいます。

たとえば私は自分のやりたいことをやりたいしやりたくないことはやりたくないです。

 


何を普通のことを言っとるんじゃと思うけど、結局のところ人って自分自身の生きやすいような生き方に自然になっていくものじゃないですか。

私は常に自分のやりたいほう、自分が楽な方、自分にとってっていう考え方をしているような気がしました。なんだかんだ言って自分が好きなんです。自分が可愛いのです。

 


対人関係においても、一緒にいて心地よい人と一緒にいたいし、合わない人は結構切り捨てというか別にいいやというドライな感じできたし、いろんなことにおいてやりたいことを選んで、やりたい方へ歩いてきました。もちろん道中やりたくないこともしかたなくやってきたけど、なんだかんだで好き勝手生きてきた気がします。特にここ1年間は。

 


それによって今まで決して少なくない人に迷惑をかけてきたこともあるでしょう、嫌われたこともあるでしょう、今もどこかで恨まれてるかもしれません。

でも私は結構性悪説で物事を考えているというか、人と仲良くなる過程を築くまでに、どうせこの人は友達が私以外に五億人いて私と仲良くなる気なんてない、この人とは仲良くなれないとか思ってから始まるのでそこら辺はもうもはや気にしてないのです。たぶん人間関係や交流の広さに重きを置いていないのでしょう。もちろん友達が多いに越したことはないかもだけど。


話がそれましたが、結局のところ私は自由が好きなのです。自分で選択するのが、選択するにおいて思考することが好きなんです。客観的に見るとまだまだ縛られていて、誰かのお世話になりっぱなしで、誰かの掌の上で踊らされている人生なのかもしれないけど、自分自身が楽しけりゃなんでもいいのです。

好きに生きて行こう、好きに考えて行こう。

 

 

 

冒頭の歌詞を全く回収しないままきましたが、あの歌詞なんとなくいいなーと思って書いてみました。

見えるものを大事にするのは当たり前だけど、心をはじめとする見えないものを大事にしようねっていうことで、自分の気持ちややりたいことを大事にしましょうね、と雑に回収しておきます。