思考ロック

一年近くサボっていたのに連日投稿なんて。どうもゆりです。

 

今日バイト中に新卒の男(以下A)と店内のテレビを見ていたら、氷川きよしがバラエティ番組に出演していました。ご存知の方も多いかと思いますが、氷川きよしさんは最近髪を伸ばしてメイクもし、女性的な服装をされています。立ち居振る舞いも優雅なのでマスクをしているこのご時世では、なんの疑問も持たず女性に見えるでしょう。町ロケでご当地グルメを美味しいと頬張りながら口元を上品に隠していた氷川きよしを見たAは、「え、これ本当に氷川きよし?」と動揺を隠せない様子でした。

 

私は以前NHKかなんかのインタビューで、「女性の格好でいる方が楽」という様な話をしている氷川きよしの姿を見ていたので、私はその話をAにしました。するとAは「へーそうなんだ」と頷き、「でも、なら今までは無理して男の格好をしてたのかな」と首を傾げました。これは私の個人的な考察ですが、氷川きよしはおばさま世代のファンを多く抱えているし、メディアに露出しおばさま方に囲まれる中で心境の変化があっただけで、以前の男らしい衣装などに抵抗はなかったのではないでしょうか。いろんな活動を経て、服装の趣味が変わってきたんじゃない?とAに伝えると、これにも「なるほどね」と彼は頷きます。しかしまた少し考え込む様に数秒固まった後、「でも、それで男を好きにはならなくない?」と言いました。

 

私たちの世代は、比較的多様性を認めジェンダーなどにも理解がある人が多い様に思います。ここまでのAとの会話でも、Aは今までジェンダーについて考えてこなかっただけで、偏見のない考え方をしているなと私は感じていました。しかしそれでもAは、女らしい格好をする=女になりたい、であると同時に、女の格好をしたら男を好きになるところまでがセット、という考え方が無意識化にありました。私が「したい格好と好きになる性別は関係なくない?そもそも、女が女を好きになることもあるけど」というと、Aは本当に驚いた様子で「え、そうじゃん!確かに!」と納得した様子でした。一人の人間の考える幅を広げられた幸福感で私はその時満足しましたが、いくら多様性を認め平等を重んじようと思っていたとしても、そもそも考えが及んでいないことに対していつの間にか思考ロックがかかっている事はきっと誰にでもあるな、と恐怖を感じました。

 

私は女子校育ちの腐女子として、ドーナツ型の偏った平等感覚を持っています。更にTLという多様性を重んじまくる団体に所属したことで、現在の様な多様性平等大切マンの脳みそを持つ事になりました。と、今までは思ってきました。具体的に今の私に何が足りないのかはわかりませんが、その「知らない世界」に直面した時、前述の自負に胡座をかかず、きちんとその世界に立って感じ、考えていきたいな、と感じました。

 

追記

ちょっと調べてみたら、氷川きよしさんは以前から女性的な格好をしていたいと思っていたそう。男性的な格好は苦痛だったらしいです。考察大外れ!失礼しました。