ベストバイ2025

べストバイババアと化した友人にベストバイを教えろと言われたので考えてみる。

物欲というより一過性の激情と共に生きている私は基本的に全ての買い物を失敗している。そんな私にベストバイなんてあるのだろうか。兎にも角にも振り返ってみる。

 

 

1. クレ・ド・ポー ボーテ メイク落としシート

www.cledepeau-beaute.comクレ・ド・ポー ボーテ

ラランドのラジオでサーヤが「風呂なんて入らなくていい、顔だけ高いシートで落とせ」と言っていた(「声溜めラジオ」#266 54:30より)私は最近風呂キャンを覚えたことにプラスして、洗面所で顔を洗うのがかなり嫌いである。飲み会後、朦朧とした意識で風呂場と洗面所をチラ見してからベットに倒れ込み、翌朝肌を触って何度絶望したことか。しかし洗顔というのはいくらヘアバンドで髪を濡れないようにしても生え際は救えない、水は肘まで垂れる、服も濡れる、洗面台に水も飛ぶ。そもそも水を手で掬って下を向いている顔にビシャビシャと打ち当てる行為の効率の悪さが気に食わない。シャワーで上から水を浴びる効率の良さを見習え。あと単純に腰が痛い。

長々と文句を言いましたがつまり、メイク落としシートは風呂キャンしたい夜に洗面所での洗顔もスキップできつつ、メイクを落とせて神。

でもなんとなくシートによる洗顔って、スキンケアとかは結局しなくちゃいけなくない?と思いますよね。ところがこちらのクレドさんを使った日は、普通に洗顔してスキンケアした日の翌日よりも調子がいい。これを使えるなら風呂キャンも積極的に候補に上がってしまいますね。

 

 

2. INI プライベートメール 木村柾哉

mail.ini-official.com

ごめん。ベストバイっぽいもの一個しか思いつかず、2個目からオタクでごめん。

でもこれ抜きに私の2025は語れない。木村柾哉を日常に感じられたおかげで乗り越えられた場面はかなりある。仕事中の通知はもちろん、しんどい夜も彼からのメール通知でめちゃくちゃ嬉しくなるし自然と笑顔になる。「今日も一日おつかれさま」に涙が出るほど救われ、「明日も頑張ろう」でずっと近くで応援してもらえている気持ちになる。

この幸せを月440円で得られるなんて、信じられない。

 

 

3. アサヒ スーパードライ 350ml×24本

Amazon.co.jp: スーパードライ アサヒ ビール 350ml×24本 辛口 : 食品・飲料・お酒

2025はビールが飲めるようになった年でもある。たぶん。

今までは家に二種類のレモンサワーを常備していたが、最近はもっぱらこいつに頼りきりである。家に帰りその瞬間カシュッとやれると思うと、退勤の満員電車で舌打ちしそうになる瞬間も耐えられる。あと職場でスーパードライ箱で買ってるっていうと何故かウケる。絶対これが一番効率いいからみんなやればいいのに。

 

 

4. ANKER モバイルバッテリー

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今までどこのメーカーかわからない安いバッテリーを使っていた。しかし同じ機種がどこかで火災事故を起こしたらしく、まだまだ現役で使えていたが一応買い換えることにした。

バッテリーの火災事故もよく聞くようになったし、次はちゃんとしたやつ買うかとAmazonを開いた。するとちょうどブラックフライデーでANKERが安くなっていたので購入。特に期待せず使い始めるとなんとまあ、充電の早いこと。バッテリー自体の充電は別に普通だけど、出力が早い。あと短いtype-Cコードがストラップみたいにつけられて快適。サイズもスマートでとてもいい。

 

 

5. ニューエラ キャップ

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ようやく買ったキャップ。 

一人暮らしするようになってから適当な格好の外出、つまり帽子を必要とする場面が増え、ずっと無難ものが一つが欲しいなと思っていた。アイドルを推すようになり、推しがプラベでニューエラを被る姿をよく見ていたので同じにしてみた。私は顔が薄いので負けないようにロゴは小さいのにしたのがポイント。

 

 

6. GU サングラス

 

私って顔の空白が多くてメガネが似合うと思うのよね。でもメガネをするとただでさえ小さい目がさらに縮み、あんまり可愛くはないなあとずっと思っていた。

そこで画期的だったのが、コンタクト+伊達メガネ。

これは悪いところ両ドリで倍めんどくはあるんだけど、盛れる。髪色を変えた時に今までのメガネが似合わなくなって、でもお金ないしなんとなく伊達メガネ買おうかなで買ってみたのがあまりにも天才的なきっかけでだった。別にサングラスである必要性はないんだけど、光に弱い私の目はちょっと視界を暗くしてくれる程度でもかなり快適な世の中になるので今回はサングラスとさせていただきます。

 

 

7. 富士山 九号目 万年雪山荘のステッカー&浅間神社のお守り

 

2025と言えば個人的ハイライトは富士山登頂。2024の私は全く信じないだろうけど、推しのせいでお前は富士山に登るよ、と言えばオタク自我への信頼があるのでギリ信じるかも。

あまりにもプライスレスな経験だったけどこれを敢えてあげるなら、わざわざ課金をして宿泊宿を推しと同じにし、そこの売店で買ったステッカー。1日目の登山を終え、世界一うまいカレーを食った後に高揚感のままに売店を物色していて見つけた。100円だったし特に考えずに購入したが、かなりいいお土産になった。デザインはあまりにも古風で浮いているけどいまだにスマホの裏に挟んでいる。

それから山頂にある浅間神社で買ったお守り。流石に黄色いやつを買おうと思ったらまさかの「幸運守」。ざっくりしてるけど間違いなく最高でなんか柾哉っぽくて一瞬で気に入った。隣で友人Mが推しのピンクとオレンジ色どちらも入ったお守りを見つけていて、かなり天才だった。

どちらも見るたびに「自分は富士山に登ったんだ」という自信を思い出す。良い。

 

 

8. オーダーメイド指輪

www.varyjewelry.com

なんか実はずっと推しの話してる?まあ2025はしょうがないよ........

推しがいつもしてる指輪を特定しようとしたんだけど、マジで無理で腹が立ったので、作りました。

この世のフルオーダーメイド指輪って99.9%婚約指輪か結婚指輪しかなくて、10万〜みたいなサイトしかない。みんな趣味で指輪作らないのか。ようやく見つけたこのサイトに今まで私が集めてきた指輪の写り込みシーンのキショスクショを送りつけ、何度かやり取りをしてようやく推しの指輪を再現してもらった。盗撮ともいえないけど画質の荒い謎の写真をたくさん送られてきて怖かっただろうなごめんね。もしこれが何かの罪に問われるならこのお店の方はただやれと言われたことをやってるだけのいい人だから、私が一身に罪を受けるよと思っていた(当たり前だよ)

でも届いた完成品はかなりよく再現されていて、○万のかなりギャンブルな出費も報われたように思う。サイズを見誤っていてプラス数千円でサイズ変更もしてもらった。本当に大切にしたい。

 

 

9. ルームシェアの家

 

ぐるっと部屋を見渡して、あと何買ったかなあと考えていて思い出した、家だ。

12月末で2025的にはギリギリだが、3人ルームシェアの家を借りた。まだ1ヶ月も経っていないし生活がバラバラなので家に全員揃ったことはまだ数えるほどしかないけど、いい買い物だった、というか、いい買い物にしたい。更新までの2年間、エンタメの生活を買ったと私は思っている。人と暮らすと一人では考えないこと、感じないこと、様々な価値観を知ることができる。もちろんすれ違いはたくさんあると思うが、それもひっくるめて20代のうちに経験できるのは非常に貴重だと思う。いい2年間にして、堂々とベストバイと言えるようになりたい。

 

 

 

 

振り返るとやはり、26歳の大人としてこれはどうなのかという気がしてくる。

なんかもっとブランドの何かとか、なんか、だよね。オタクとして立派だということが証明されてしまっただけだったな。はあ。

 

 

26歳の女が半年で14kg痩せた話

 

物心ついたときから、太っていた。

 

私が太り始めたのは、「パイロゲン」という飲み物をがぶ飲みし始めてかららしい。幼い頃の話ではあるが、「パイロゲン」という飲み物の名前はよく覚えているし、何となく味も覚えている気がする。たしかリンゴ酢のような甘くて美味しい飲み物だった。(調べたらまだあった。そしてパイロゲンは適量摂取すればいいもののはずなので悪しからず)

幼き私の数少ない可愛い写真があるのだが、これ以降、私のからだはぷくぷくと大きくなり続け、甘い飲み物を飲み、たくさんお菓子を食べ、脂っこい食べ物を食べ続け、幼稚園に入る頃にはもうすっかり「肥満児」であった。

それから20数年、からだは𝑩𝑰𝑮のままである。だが同じ時間ずっと抱いていた思いもあった。

 

「痩せて綺麗になりたい。」

 

気持ちだけは(ココ重要)常に痩せたい、と思い続けていた。食べる量を減らしてみたり、低糖質、低脂質とかいてあるものを食べてみたり、スイミングに行ってみたり、もちろん何もしなかったわけではない。しかし上手くいったことはなかった。それでもなんだかんだ人生の歯車はくるくる回り、縁もあって良い人と出会い、結婚式も迎えた。𝑩𝑰𝑮なからだを携えて。

 

そんな人生を歩んで26歳になった。ふと思った。

「ずっとこのままでいいのか?」と。

この太い足と、大きなお腹のお肉と、この怠慢を表したような見た目を併せ持ったまま20代を終えていいのか?と。

2025年6月、アウトレットに行って服を見に行ったとき。素敵な服があった。これを着てかっこよく着こなしたい!とおもった。

試着室に行き、着てみた。と思ったが、着れなかった。足がパンパン、胸のボタンが閉まらない。惨めだった。

試着の度にこの落胆をいつも感じていた。

それでいいのか???

このまま試着が怖くて一生を終えるのか???

友達とのショッピングを楽しめずに終わる人生なのか???

 

これではいかん。痩せよう。

2025年6月、私は本気でダイエットを決意したのだった。

 

 

1ヶ月目〜筋トレを続けてみよう〜

始めたのは学総が終わり、新学期にひと区切りが着いた次の日から。4月からここまでは本当にノンストップで、ほぼ息継ぎなしで進んでいくようなものなのだ。この2ヶ月に4年目にして未だにヒィヒィ言っている。

まずは始めることから、と、以前もいくつかやっていた筋トレやストレッチをやることにした。

私は「ひなちゃんねる」や「なるねえ」に大変お世話になっており、学生時代運動経験ゼロ(空手部3日)の私を何とか引っ張ってくれるのだ。

お腹、背中、足お尻と大きな筋肉を鍛えるべし!というお告げを胸に、仕事から帰って30分筋トレ、お風呂で20分マッサージをひたすらに続けた。これまでは22時に学校を出ることもザラだったが、20時までに学校を出なくては筋トレの時間が取れないぞ!と思い、20時までに帰ることにした。仕事が早くなった訳では無いが、やらなくていい仕事を見定められるようになった気はする。あと帰りに好きなものだけバカスカ食べるのではなく、あすけんに記録して脂質など多くなりすぎないように気をつけた。

するとダイエット初期あるある、体の水分が抜けていって最初の3kgはストンと落ちた。そこまではいつものダイエットと同じ。ひとつ違うのは、マッサージをしたことでくるぶし辺りがすっきりしたこと。本人にしか分からないくらい微々たる差だが、明らかに骨が出てきている。今までどれだけ水分や老廃物を溜め込んでいたのだ。足とお腹のマッサージを続けて、どんなふうに変化していくのか、とても楽しみになってきた。

 

2ヶ月目〜カロリー制限との戦い〜

7月。あすけんに示されてるカロリーがかなり高かったので、これでは変わらないのでは…??と思い、私のダイエットのお供、喋るキウイこと「片倉岳人」さんのメンバーシップに登録し、減量期の摂取カロリーを算出してもらった。

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ココ最近1800kcalくらいでお腹空くな~と思っていたので絶望。1400kcal???そんなの行ける???飢餓で死ぬのでは???(そんなことは無い)と思ったけど、1100円払って計算してもらったので、しっかり守っていくことに。

1日1400kcalとか無理死ぬと思ったけど、夏バテもあってなのか意外と耐える。何なら朝昼抑えて夜をこれまで通り食べてたらお腹いっぱいになって気持ち悪くなる手前まで行った。今までいかに食べ過ぎていたのかよく分かる。胃が小さくなるってバンザイ!TLメイン胃袋を退く日も近いかもしれない(?)

そしたらみるみると止まっていた体重が減ってきた。嬉しい!目の手術後に休止してた筋トレもできるようになり、楽しくなってきた。今までだったら筋トレできないことを嬉しく思っていたと思うが、今は筋トレできることが嬉しい。

 

3ヶ月目〜イベント事との対峙〜

8月。ダイエットがこれまで中断してきた理由のトップ3は、3位:食に飽きる 2位:仕事が忙しくなる そして栄えある1位は、イベント事で体重が増えてやる気を無くす、である。

食べることは大好きなので、食べられる機会はたくさん食べる。年末年始、お盆、旅行など…それでおそろしい体重になり、体重計に乗らなくなって…パターンがお決まりだ。

例によって今年もお盆がやってきた。親戚とのご飯、そして今年は韓国旅行があった。モヤモヤしてきたが、今の私にはキウイさんがついている。「問題ないです👍」をキーワードに、無理に食べすぎずに、美味しいものを食べ尽くす!と思って1週間を過ごした。

これまでならこれでやる気をなくし、ダイエット〜終〜ってなっていたが、今回は長期戦。たとえ太るときがあっても長期的に見て痩せていくように、食事を整えた。

そしたら旅行帰宅後1週間で体重が旅行前に戻り、しかも減った!!勝った。私はイベントごとに勝ったのだ。これはひとつの大きな白星。カロリー調整って素晴らしい。

 

そうしたらだんだん体に変化が…!!!

・顔がシュッとした

・なんか肩ら辺が少し薄くなった

・足を曲げた時の肉が減った…!!

・足のフォルムが細くなってきた!

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全ては語尾に(気がする)がつき、遊郭編の伊之助のようになるのだが、ダイエットはこれでいいのだ。体重に誤差があることは知っているけど、増えたら「誤差🎶」減ったら「よっしゃあ!!」と言えばいいのだ。それっぽい変化が出てきたら喜ぶ。何事もスモールステップが大事です。あ、教員生活で学んだことね、これ。

 

そしてインスタにほぼ私と身長も初めの体重も同じ人が、1年くらいダイエットをしてめちゃ綺麗になっているのを発見。モチベ爆上がり。私まだ2ヶ月しかやってなくてこんな変化が見えるのだから、10ヶ月続けたらこの人みたいにすごいことになっちゃうんじゃない???停滞期が来るまでのダイエット人間は、ここまで能天気になれるのだ。しかしダイエットは全てをプラスにとらえたものが勝つ。根気強くやっていくのだ、自分。

 

そして8月半ばには某ザップに行き始めた。入った後に友達特典があったことを知りゆりちゃんに相談すれば良かったと後悔。ごめんね。自重の筋トレもいいのだが、やっぱりマシンが…という片倉さんや色んなYouTuberの言葉を信じ、いざジムへ!実は昔別のコンビニジムに行ったことがあったのだが、着替えがめんどくさい、マッチョの中で肩身が狭いということがあり、足が遠のいていった。

しかしチョコザップはどうだろうか。年齢も体型もさまざま。マシーンをひとつやって帰る人もいる。マッサージチェアだけやる人もいる。なんて居心地がいいのだ。しかもセルフエステもある。これ、めちゃお得では???

相変わらずでかい筋肉鍛える信者なので肩と背中と足を中心にやっていく。特に足の筋トレが楽しい。アブダクションとアダクションというどっちがどっちだか分からなくなる器具があるのだが、これで足をプルプルにするのが楽しすぎる。いろんな機械を使ってみたり、エステをしたり、マッサージチェアにお世話になったりしながら、エンジョイチョコザライフが始まった。

 

4ヶ月目〜学校生活との折り合い〜

9月。2学期が始まる。子供に会える嬉しさもあるが、日々が忙しくなるという嘆きも同時に抱える月である。そして今年はそこにダイエットとの両立も入ってきた。さて、どうしようか…

もう一度基本に立ち返った。今回のダイエットは長期戦。いかに「継続」できるかにかかっている。そうなったとき、私はこのようにルールを決めた。

・カロリー&タンパク質の量は毎日気にする(KP管理)

・前日までには食べるものを決めておく

・けど、100kcalくらい余裕を持たせておいて、お菓子をつまんでも耐えるようにする

・給食は牛乳キャンセル(1パックで160kcal近くあるので)して、ご飯の量を調整するなどして、基本はなんでも食べる

・筋トレは毎日やらなくてもよい。ただし土日どちらかは行く。週1~2はキープする。

・とにかく学校内を歩いて歩数を稼ぐ。1万歩プラスαいけたら最高。

・忙しいと思うが、睡眠時間を削らない努力をする。

・とにかくポジティブに!お菓子食べてもそんなに落ち込まない!ネガティブになったら寝る!

カロリー管理のダイエットを始めて、初めての学校生活なので、今月は実験である。ダイエットは自分にやりやすいように合わせて、試行錯誤していくことが大事だ。(多分)とりあえずひと月実験しよう。

1学期と変わったことは、筋トレをしていたからか圧倒的にバテなくなった。子供を帰した後に心に余裕を持って保護者に電話する元気がある。そしてお腹も空かなくなっている。今までは4時間目にはお腹が空き学年のお菓子をぱくり。給食は隙を見ておかわり。下校時刻が過ぎたら死ぬほどお腹が空いてお菓子をバリボリ。だったのが、普通に給食少なめにしてもお腹がいっぱいで、19時〜20時くらいまではそこまでお腹が空かない。すごい。これが正常な人間の胃か。今までお前どんだけ食ってたんだ。

そうしたら土日にわりと好きなものを食べても(二郎系を食べたり、寿司を食べたり、焼肉きんぐに行ったりしていた)、少しづつ体重が落ちていく。二郎系…食べていいのかしら…と罪悪感を抱きそうになっていたが、日常を大切にしていたら非日常が楽しめることがわかった。嬉しい!

そしてそろそろサラダチキンに飽きてきたころ、味の素プロテイン餃子と味の素プロテインから揚げの存在を知った。なんてこの世の中ダイエッターに優しいの???味の素????……愛してる💋となった。普通に味の素に転職したくなったけどたしか味の素って就活難易度最高峰だよね???でも痩せた体を携えて、「この商品と出逢って…」で話をつくっていけばワンチャンあるかもな……(????)というダイエッターズハイを迎えながら、速攻でプロテイン餃子とプロテイン唐揚げをポチ。

しかもなぜかめちゃ安く買えて感動。

ダイエットの神が微笑んでいますわ〜^^

結果的に9/1から9/30で-3.2kg!めっちゃ理想的なペースだしとても良い 続けていくわよ〜

 

5ヶ月目〜冬の訪れ〜

10月。タイトル、気が早くないか??と思うが、寒くなってきた。すると毎年出現してくる、食欲という悪魔。食欲があるのはいいことだと思うが、ありすぎるのはよろしくない。こいつとどう付き合っていくべきなのか?今月の研究テーマはこれやな。

そして停滞期も訪れた。しばらく体重の変動がない。しかしこれは喜ばしいことだということを私は知っている。ここまで一旦努力しきったということだ。素晴らしい、素晴らしいじゃないか!ここまで頑張った私に拍手を送ろう👏

停滞してるな〜と思ったら、体重2週間平均を見て、そこで落ちてればOK、落ちてなければ何かを改善するという方法を片倉氏は言っていたので、しばらく様子を見ることにしよう。

まじで0.1kgの変動しかなくて、モチベが普通に下がる。そして気候の変化からなのか、無性にご飯を食べたい。あなたは冬眠しないのよ?そんなに栄養取らなくていいのよ?と思うが、めちゃ腹が減る。迷った。迷った結果、ドカ食いしないように、少しゆるめに食べるということにした。目標カロリーよりも+100~200はいかないくらいに留め、ちょびちょびお菓子も食べた。そうすると体重は落ちないが、増えることも無い。爆食いしなければ怖がることは無いのだ。と思いながらも、少しづつ間食を食べた。

そして2週間経ったある日、気づいた。食欲が…落ち着きを見せている…!?!?

それまではお昼給食をおかわりしても、夜にとはご飯をもりもり食べていたが、なんか夜あんまお腹空いてないかも、白米なしでもいいかも?という日が現れた。それでもカロリーは適正に近いので、自分の感覚に合わせて白米キャンセル🍚✋した。昔の私では考えられない界隈だ。米キャン界隈。

そうすると…2週間を過ぎた日、久しぶりに体重が落ち始めた!!!普通に食べているのに!!!感動した。1日15000歩くらい歩いていたからかもしれないし、3分プランクチャレンジをやってみたからかもしれないし、因果はよく分からないが、前に進んでいるようだ。とうとう停滞期まで克服するなんて…素晴らしいダイエットを辿っている気がする。常に嘴平伊之助を心に携えて進んでいきたいと思う。

この1ヶ月、2回ほど体重が停滞したが、無事にどちらも乗り越え、結果的に-2.7kg!

 

番外編として、ここで私のスタメン食たちを紹介する。

プロテイン唐揚げ&プロテイン餃子

is神。特に餃子は美味すぎる。これダイエット食として食べていいんか?となる。普通の味の素の餃子と同じ作り方で簡単だし、羽根付き餃子になる。すごい嬉しい、ありがたい。もうサラダチキンは本当に飽きているので、こういう食材を活用したい。

 

・サラダチキンに飽きたと言ったが、鶏胸肉が優秀だということは事実。気分転換に食べるか〜となるときには、片栗粉をまぶして焼いたり茹でたりしてジューシーにして食べる。片栗粉、あなたのおかげでパサパサにやられなくてすみます。いつもお世話になっております。

 

・カツオのたたきもいつもありがとうね。刺身の中では比較的安いのにこんなに栄養バランス神なのなんなんですか?タンパク質はあなたで補います、いつもありがとう。もちろん他の魚たちも大好きだよ。

 

・デフォルト夕食のキムチ生卵納豆ご飯。お前はするする食べられる。安い。なのにそこそこのタンパク質がある。本当に安心できる。結婚するのに大切なのって安心感っていうもんね。いつもありがとう。

 

・朝ごはんはビーレジェンド「ベリベリベリー味」プロテインオイコス。美味しくて本当にありがとう。特にビーレジェンドには頭が上がらない。こんなに美味しいプロテインあったんですねと感動。これからもついて行きます。

・基本的に野菜が好きじゃない私が食べ続けられる野菜、サニーレタスとミニトマト。あなたたちは夜ご飯に食物繊維と満腹感を与えてくれるね。暴飲暴食したくなったときはレタスをバリボリ食べるよ。

 

6ヶ月目〜疲労、ストレス、そして…〜

11月。寒い。寒すぎる。先行きが不安すぎる。

寒くて食が進む。そして今月は実行委員長になっている合唱祭があり、輪をかけて忙しくなってきた。ストレスもまあまあ降りかかり、食欲マシマシになってきた…

そして挙句の果てには某インフルエンザに倒れ、1週間ダウン。ダイエット開始以来初のボロボロ月間であった。

インフルエンザで食欲がなくなり寝たきりになり、筋肉が消え去ってありえないくらいに体重が減った。しかしこれは筋肉だということを理解(わか)っている今の私にはただただ虚しい。仕事も滞る。オワリです。都のオワリですチャンネルにハマりました。

そうしていくうちに、培ってきた運動習慣や食事週間は崩れていくのであった…

 

7ヶ月目〜絶望の先に〜

12月。11月にメタメタになり、進路事務やらなにやら初の業務に追い込まれ、食生活は壊滅的になった。暇さえあればお菓子をバリボリ。袋麺をおもむろに開封。ああ、このままダイエットなんてやめちゃおうかな…あきらめ85%くらいであった。

でも、体重を見てみたところ、別に特段増えてるわけではない。もちろん痩せてはいない。が、維持をしているぞ…?諦めるにはまだ早いんじゃないか?

そして罪悪感から見ていなかったキウイ氏の生放送を久しぶりに見始めた。そこでコメントをしてみた。「インフルエンザになってからリズムが崩れて思うままに食べてしまいます😭冬は維持出来ればいいかな、と思うことにします…」

すると、キウイこと片倉氏は、「冬はやっぱり難しいですよね!維持できたらそれが充分だと思っていいと思いますよ。」と言ってくれた。他の視聴者の方も、「冬は絞るのむりですよね〜」「わかります😭めちゃくちゃ食べちゃう…」と反応をくれた方がいた。

そうか、この悩みは私だけじゃなかったんだ……!!と思えて、すごく気持ちが楽になった。持つべきものは仲間だ。ありがとう片倉氏、片倉リスナー。そうして1ヶ月ぶりにジムへいき、食生活も徐々に元に近い形に戻していけている。前向きな気持ちにだんだんとなってきて良かった!年末は美味しいものを食べて運動して、心のプロテインを補充することとしよう。

 

そしてこの1ヶ月、会う人会う人に「痩せたね!」と言われることが急増した。職場の人、合唱の人、TLなど、あらゆる人から嬉しい言葉をたくさんもらえた。気づけば、今年MAXの体重から14kgの減量に成功していた。最初に着れなくて泣いていたアウトレットで出会った服を、実はいつか着るために買っていた。

おそるおそるその服に袖を通してみた。

 

…着れる。

 

…着れている!!!

 

感動した。6月にパンパンだったあの服は、今は私の体にスルリと入り、馴染んでくれていたのだ。こんなのダイエット本の中の人達の話だと思っていたのに、私がそれになっている!

 

26年という人生の中で、初めてダイエットに成功したのだ。

 

しかし意外と、達成したー!!という感情はない。それはなぜかというと、ダイエットを「辛く耐えるもの」にせず、「継続するもの」にしていたからだ。習慣にすると、苦ではなく癖になって、それをしないと気持ちが悪い(の領域までは行ってないが)みたいな感じになる。朝ごはんに食べるものを同じにするとか、エスカレーターは使わないで階段を使うとか、そういう些細なことが癖になって積み重なって、結果が出たのかな?という感覚なのだ。

 

私が嫌だっただらしない自分から、少し好きな自分に近づけた気がして、この半年はとてもいい時間だったな、と思えた。

もうすぐ2026年になって、新たな1年が始まる。できればこの生活を続けていきたいけど、もしかしたらまた心がポッキリ折れるかもしれない。それでも、私はこの半年に得た成功体験がある。これを忘れないように、これからも過ごしていきたい。

2025/12/29

 

じじとばば

人には終わりが来る

私がそれを実感したのは小学生の頃だった

今回はその話は割愛するけどね

 

 

宮本家では、母方の祖父母をじいじとばあば、

父方の祖父母をじじとばばと呼んでいた

なぜかはわからないが、じじばばの近くに住んでいるぱぱの弟(叔父さん)もじじとばばと呼んでいたからかも

ぱぱは誠一じいさんと豊さんって呼んでたけど

 

今年の2月、ばばが亡くなった

私が中学生高校生のころなんかは長野に行くと、毎回「あらさとみちゃん!デカくなったなぁ!」と私とままを間違え、

周りの親戚たちに「ゆいちゃんだよ」って訂正され「そうかぁ」とわかったようなわかっていないようなことを言ってた

料理が上手で豪快な性格のばば

ばばのおやきが世界で一番美味しかった

ゆたかさんだなんて男の名前だよな、っていつも豪快に笑ってた

いい名前だったと思ってるよ

 

私が受験とかで忙しくなって、コロナでなかなか会いにいけなくなって、いつのまにか入退院と施設への入所と帰宅を繰り返していた

かれこれ2年くらい前にももう危ないかもなんて言われて、私は国試があるから行けなかったけど、家族みんなで会いに行ってたのももっと昔のことのよう

去年くらいに会いに行ったときには家の和室にある介護用ベッドで横になってるばばがいたね

豪快さはなくなったけども私とままを間違えるのはいつものことだったね

 

家ではじじと2人暮らしで全部じじが面倒見てくれてたんだ

すごいよね、じじ

施設の人にも毎回どこに帰りますか〜って話されて家でじじがみますって言うとびっくりされてたみたい

そりゃそう

近くにおじさん家族が住んでてたまに様子見に行ってくれてたみたいだけどそれでもずっと2人で暮らしててほんとにすごいと思ってた

家事も介護も全部できてたスーパーおじいちゃんだったね

 

じじはいつもニコニコしてて温厚な人だった

怒ってるところなんて見たことない

耳が遠くていつもいつも話しかけても聞き返されてた

畑仕事も米作りもしてて長野に行くと毎回お米持ってけって持たせてくれて毎年冬になるとりんごを送ってくれてた

ずっと元気だったじじ

 

ばばが亡くなってからどんどん元気がなくなっていったみたい

会いに行けなくてごめんね

そして9月に亡くなった

最後は話に聞く限りBiPAPつけてたみたいで

それのせいで顎が外れちゃってたんだって

苦しかったね痛かったねお疲れ様

 

最後は2人とも綺麗な顔してた

 

ばばのときは日程的に葬儀とかには出席できなかったんだけど

最後にお世話になってた施設にばばをむかえにいって、葬儀をするお寺に連れていったんだ

施設でばばの手をじじが握った時

あのときのあの部屋のシーンは多分忘れることはないと思う

施設の人からお部屋に飾ってたばばの写真とかばばとじじのツーショットの写真を預かった

ほんとに可愛いかったな

お寺で棺に横たわるばばは綺麗な顔をしていた

いつ目を覚ましてもおかしくないって思った

じじとおじさんが葬儀のいろいろを話し合いしている間私はお寺でばばの顔を見たり本殿の中をきょろきょろ見たりしてた

寒かったなあの時は

 

それから約半年

じじのときは出棺と火葬と葬儀とに出席した

じじは2月に会った時より痩せてたけど優しそうな顔は変わらなかったね

いつもみたいに、ゆいちゃんって呼んでくれるかもって思った

今回告別式でじじのお姉さんとかじじのいとことかいろんな親戚に会った

お姉さんは、せいちゃんよく頑張ったねって声かけてあげてて自分の弟が死ぬってどういう気持ちなんだろって思った

 

今回一番しんどかったのは、自分の父親とおじさんがいっぱい泣いてて

多分私はぱぱが泣いているところを初めて見た

ばばが入院したり家に帰ったり施設に入ったりしたときとか、じじが入院したときとかその時その時で毎回長野に行って様子見てたもんね

この半年くらいで両親を失って

そのぱぱとおじさんの気持ちを思うと私は涙が止まらなかった

(これって関係性オタクが出ちゃってる?って心配になった)

 

今回私は告別式以外の式に初めて出席した

お寺でお焼香をあげて納棺と旅立ちの準備をしてお花を入れたりして、火葬場で最後の顔を見て火葬に見送って、ご飯を食べて、骨を拾って、お寺で葬儀をした

旅立ちの準備ではわたしは右足の脚絆をあてさせてもらった

これが死装束ってやつかーって思った

火葬が終わって骨を拾うときには、火葬場の人がこれはどこの骨ですって説明しててこんなアトラクションみたいなんだって思った

じじはだいぶ丈夫で立派な骨だって褒めてもらってた

4人くらいずつ順番に骨を拾って骨壷に入れていくんだけど、よかったらおっきいの入れてくださいとか、10個くらい入れちゃってくださいとか、火葬場の人からのアナウンスがなぜか面白く感じてしまった

 

葬儀も全て終わった後、近くのお蕎麦屋さんでみんなでご飯を食べた

さすが信州、蕎麦が美味すぎる

わさびを自分で擦るタイプでだいぶテンション上がった

みんなお酒も入って、じじばばの昔話をたくさんした

どうやらぱぱは昔とてもヤンチャで、あの温厚なじじからいっぱい怒られてたらしい

一回ギターを折られたこともあるっていってた

あとおじさんは今は消防士だけど昔廃ホテルに忍び込んで火遊びをしてちょっとやばかったことがあったとか

いろんな初めて聞く話をきいた

 

あとそこでようやくいとこたちと連絡先を交換した

みんな会うのは高校生ぶりくらいだったから気づいたらみんなでかくなってた

おじさんの息子2人は、1人は最高裁で弁護士してて、1人は長野の信用銀行で働いているらしい

お姉さん(と呼ばれているが実際誰のお姉さんなのかはわかっていない)の娘2人は、1人は医療機器メーカーでカテーテルとか作ってて、もう1人はいま国立にいて飲食店で働いてるって言ってた

みんな立派な大人をしていてすごかった

私もぱぱの娘として恥ずかしくないように頑張ってニコニコしながら八方美人してきた

大学病院の救急集中治療で働いているっていうネームバリュー?に今回は大感謝

今度弁護士のいとこが霞ヶ関案内してくれるって言ってた

宮本家孫一同ってLINEグループも作った

今度孫一同でご飯行こうって話になったけど、何話すんだろう、、って心配な気持ちもある

 

とまぁ、そんな気を張り続けた1日が終わった

 

 

自分もいずれ友人や家族を亡くす

なんなら毎日人が死ぬようなところで働いている

それなのになぜ人は死ぬんだろうと考えざるを得ない1日だった

答えは出ないけども

 

火葬場での骨を褒めるフェーズを聞きながら

大事な人の骨拾いてぇなぁと思った次第

 

あとなんか葬儀の儀式って不思議だなってずっと思ってた

 

 

P.S.長野県の戸倉のあたりに行ったら、蕎麦と蕎麦プリンを食べなさいね

あのあたりは戸倉上山田温泉がとても有名です

どこかの温泉には岡本太郎の作品が置いてあるらしいわよ

 

 

人生のラスサビだと思っていた日が、始まりの日になった件について

豊永利行は私の人生に一番長くいる推しだ。

私は本当に飽き性で、熱しやすく冷めやすいという言葉を説明するのにふさわしい人生を歩んできた自覚がある。しかしその中でも豊永利行はかなり稀なケースとして私の人生にい続けてくれていた貴重な存在で、そんな彼が今回初めてビルボに立つことになった。

Billboard Live。歌を歌うタイプの推しがいる人間なら、一度は聞いたことのある歴史的な会場。キャパが鬼狭く、舞台と客席が近く、ライブよりディナーショーのような言葉が似合うらしい。そして噂によるとこの会場に立てるアーティストは、ビルボード側から声をかけられた人のみとのこと。そんな場所でやる推しの公演、どう考えても、行きたいに決まっている。

大阪で1日2公演、東京で2日4公演。合計6公演。豊永FC先行では1人1公演しか当たらないシステムになっていて、仕方なく5500円を支払いビルボード会員になり欲しい公演チケットを全て手に入れた。しかも何故か映画館システムで自分の席を選択でき、ほとんどセンターの最前席。

そして迎えた念願の初ビルボ公演日。大阪で昼夜公演。9/13。

 

熱しやすく冷めやすい。私の人生がそうなっている原因として、熱した時の力の掛け方が馬鹿というのはかなり有力に有り得ると考えている。そう、まさに今の木村柾哉に対するアクセルの踏み方のように。

私がINIを好きになってから完璧なタイミングでのアリーナツアー。ニューアルバムのリリース。ツアーに追加のドーム公演。アクセルを踏み続けるのには最適な環境が用意されていたせいで、私はベタ踏みでドーム公演の日を楽しみにしていた。しかも3公演中2公演に、それぞれ別の友達と4連番。最高な時間が確約された二日間。9/14と9/15。

 

この3日程を終えた後には、どうにかなってしまうと思った。どうにもならなかったら、どうにかしてしまおうと思った。真っ当にオタクとしての人生を歩んできたせいで、現場というものはあまりにも人生の中で大切なイベントなのに、この密度で。2コンテンツ同時に。酒も一種類を飲み続けた方が酔いにくいと聞いたことがあるのに。

あまりにも人生がこの3日間に向けてしか進んでいなくて、その先の人生なんて考えられなかった。昔アイドリッシュセブンと豊永の現場を連日経験したこともあるが、あれは2日間で2公演だった。それだって十分人生をぐちゃぐちゃにされたのに。

9/13からの3日間が楽しみで楽しみで、怖かった。

 

 

9/13

朝から新幹線で大阪に向かった。三連休初日の自由席を舐めていて、時間に合わせるためには満員電車並みになっている連結部分に立つしかなかった。東京新大阪間、約3時間の地獄。この後待ち構えるスケジュールを思うと、かなり胃が重かった。

無事に着きスーツケースも奇跡的に空いていたロッカーに預け、遂にビルボ初公演。

最前列の4人掛けテーブル席、人ひとり挟んだらそこはもう舞台。あまりの近さに驚きを隠せず同席のオタクに話しかけたが、全然冷静な対応をされて少ししょげた。

開演1時間前から入場でき、みな公演前に食事や酒を楽しむのがビルボらしい。私も例に漏れずコラボメニューのオムライスプレートを注文し、有料会員は何故か無料で飲めると言われたのでビールをいただいた。絶対に酒を頼まないようにしよう、せめて夜公演で、と思っていたのに気づいたら店員にスーパードライを指さしている自分がいて、非常に愚かだった。

洒落た空間で酒を飲み、飯を食い、何故かやけにいいサービスを受け、もうこのまま帰ろうかなと思っていたら、目の前のステージ上にいつもの豊永バンドメンバーが。楽器の音がデカすぎる、目の前がドラムだったこともあって爆音で響く煽りの音楽。そして登場する、豊永利行。ガチで、近すぎる。目は、合う。毛穴も余裕目視。

いつもの豊永のライブとは違ってカバー曲がメイン。昭和、平成、令和、それぞれの名曲をカバーしつつ、自分の曲も何曲か。ちょっとドラムが近すぎてスピーカーが後ろにあって、豊永の声は聞こえにくかった。そんな贅沢な悩みがあるのか。

夜の部は急遽来てくれたTと一緒に入った。席はバラバラだったけどお互いの席を確認すると、Tはステージを真横から見る席でこれはまた珍しい景色そうだった。私の席は今度こそ本当に最前席。椅子から少しケツをずらせばステージに座れるし、間違えてスマホとかおける距離にステージがあった。さっきは上手だったけど今度は下手なのでピアノが近く、フッキーさん推しの私にはかなりの特等席だった。

今度はコラボドリンク(アルコール)とスパークリングワイン(タダ)を頼み、1時間位の待機時間を潰す。昼とは打って変わって同席の3人は全員友達だったらしく、仲良く会話に混ぜてもらい楽しかった。「あなたの豊永はどこから?」という鉄板オタクトークをしていたらそのうちの一人と私がほぼ同時期にハマっていたことが判明して大盛り上がり、記念にTwitter交換しようとしたら相手が大手垢で当たり前にFFで草だった。

そうこうしているうちにバンドメンバー入場。豊永がいないうちにたくさん見ておこうとフッキーさんを凝視していたら、周りが豊永が登場する方を見ている中反対を向いていたし流石に最前から見ていたのでバレて、少し困惑したように目を逸らされた。かわいい。

豊永登場後もチラチラ見ていたら、情熱のヒストリアという豊永の曲の時に完全に確変が入った(ここから夢小説)。

明らかにピアノのギアが上がり、えぐいアレンジを連発しだした。情熱のヒストリアは何度か現地で、もちろんフッキーさん伴奏で聞いた事があったけど、ここまでのものはさすがに初めてだったと思う。そこ遊ばなくてもいいよ、ボーカル食っちゃうよって場所でもかましまくってきていた。その頃には豊永も少し笑いながらピアノの方にチラッと目線を送ったりしていて、わたしも遂に目の前で豊永が歌っているのにも関わらず目を逸らしてピアノを見てしまった。

曲が終わったあと、最前だから豊永の視界にも確実に入ってしまっているのに、豊永ではなくフッキーさんに拍手を送ってしまった。するとフッキーさんがこちらに気づいてくれたので、口パクで「やばすぎ」と言ったら伝わったかはわからないけど嬉しそうにニコッと笑ってくれて、これはもうちょっとしたセックスだった。

その後もピアノは本当に素敵だったけど情熱のヒストリアのようにボーカルを食ったものはなくて、逆にエロかった(夢小説ここまで)。

 

豊永の話に戻るんですけど、まじでステージが近すぎて目の前を通るときに関しては手を伸ばせば届く。歌ってる時に目の前で止まられた時は本当に私の為だけに歌ってくれている距離で、耐えられなくて少し椅子を引いた。あと当たり前にほぼオタク全員の視界に自分が入っているので姿勢に気を抜けなくてどんなライブ?となった。ワイン飲みながら聞くバラードとかこの世の終わりくらい綺麗な景色に見えて、今死ねたらどんなに幸せだろうと思った。

正直いま私の人生はあまりにも木村柾哉一色で、豊永のライブを見るのに万全ではなかったから少し怖かった。なのにこんなに楽しくて幸せなの、本当にすごいなあと思った。その歌い方も、笑い方も、振り付けも、ライブだけのアレンジも、全部見たことあるのにそれでも全部が好きで幸せだった。歌は昼の方が安定していたけど、夜はヒストリアのフッキーさんが暴れたあたりから豊永のギアも上がった気がして、めっちゃ良かった。その結果空回りして豊永にしては珍しく何ヶ所か外していたけど、120点を目指して110点を叩き出している感じで、普段100点満点優秀なライブをする豊永からこんなライブが見れるなんて、、とまた夢女になった。

 

終演後はTからの初見感想をつまみに飲み、飲み過ぎないようにしたけど既にビルボで3杯飲んでいてバカなので日本酒まで行った。調子に乗ってスタバで締め、新幹線で名古屋に移動した。一か八か自由席チャレンジをしたら奇跡的に2人隣で座れて嬉しかった。大阪にいる間はINIのことを完全に忘れるようにしていたが、新幹線に乗った瞬間MINIとしての自覚が戻ってきて楽しみすぎた。なのに体はもう豊永を2公演浴びたあとだから限界で、このラスサビに耐えられるか不安になった。

 

ホテルに着き、TLMINIと一瞬あって代行分グッズを受け取った。20回したガチャが既にかなり木村に交換してもらえていて流石に神。感謝を伝えようとしたら面構えの違う彼女たちに「(ライブが良すぎたから)気をつけて」と言われて、本当に私は明後日で死ぬんだと思った。

部屋に戻ってガチャたちを並べると本当に明日INIのライブなんだーと実感できて既にもう楽しい。Tに許のグッズを譲ったり明日の取引準備を整えたりして、ベッドに入った。

が、本当に一睡も出来なかった。私は緊張を解くハードルは高く、緊張を感じるハードルが低い。豊永の公演をみた緊張が解けない且つ明日のINIに対する緊張が既に始まっていて、更にいつもと違うベッド。最高の緊張状態だったんだと思う。程々に酒も飲んでいたし朝から活動していて疲れているはずなのに、寝れなかった。寝るの下手な自覚はあるけどここまで酷いのは珍しかった。

朝起きたTによく寝れた?と言われて、マジで一睡も出来なかった、と答えて2人で笑った後ようやく緊張が解けた感じがしたけどもう時すでに遅し。身支度をして朝飯バイキングを食べて、手荷物を今日泊まるホテルまで預けてから現地に向かった。

 

昨日預かったガチャやトレカを順調に交換し、手持ちほとんど全てを木村に変えてMと合流。Mの妹とその友達もいてみんなでお店開きつつ取引しつつ。その間炎天下にずっといたのと寝不足で流石に身体がやばい感じがしたので、鉄の飲み物とかブドウ糖を摂取して何とか正気を保った。

座席に着くとスタンドではあるもののほぼセンターだし、そこそこの近さ。結構な良席だったけどここで私の気力が底を尽きてまじで頭の動きが止まった。これからありとあらゆる供給があるのにこんな腐った脳みそでは対処出来ない。開演までの数十分で必死に回復に務めた。そして、いざ開演。デケェ音が鳴り響き、デケェスクリーンに映し出される推しの顔。前髪アリ、最高のビジュ、パフォ中にしか見れない怖い顔。今までの頭痛が嘘みたいに一瞬で元気100%になった。

 

VCRでキーボードを弾いている姿が出てきて、よろめいた。なぜなら御共直己を思い出したから。直己先輩の話はしないでください、不正出血するので。二度と木村柾哉にキーボードを弾かせるな。あとそのゲイ丸出しのミニピチT衣装辞めれる?VCRで良かったほんとに。

と思ったら、そのままの衣装でキーボードと共にステージに登場。そしてあろう事か弾きながら歌い出す木村柾哉。崩れ落ちる私。Mは私が落ちるのを察知して腰を支えてくれた。

木村柾哉さんってピアノ弾けるんですか?あの、出来ればやめてくださいませんか。あとなんか、歌上手くなってませんか?ピアノ弾きながら歌ってるくせに。全然手元見ないし、凄い笑顔だし、AMAZE MEってこんなにキラキラ恋愛ソングだったんだって気づいた。青春。直己先輩、付き合ってください。

 

ショックを引きずる暇さえ与えず、どんどん供給される木村柾哉。これが初見ライブ。忙しすぎる。木村柾哉がいないユニットだと思ったら大好き曲Busterzでフェンが大優勝してて神でまた忙しい。ん?しかもこの流れ、怪しい、私知ってるぞ、奏で始めてる、やばい。はい、来た。リムレス木村柾哉です。エロがりゾーンで沸くとかの前に、リムレス木村柾哉という殺人兵器に怯えているのに近い。ドームでリムレス無くなったらどうしよと思ってたけどうちわにまでなったし流石に大丈夫でした。リムレス木村が大スクリーンに映し出されるまでの間、死刑宣告を受けるかのごとく固唾を飲んで凝視していたら大夢くんまでリムレスを掛けていて流石に声出た。髪切ってめちゃくちゃ似合う、さすがに似合いすぎ。昨日のあみに思いを馳せた。可愛そうに。でも同じ苦しみを分かちあってくれて嬉しい。明日一緒に死のうね。

リムレス木村柾哉がこんなに大好きなの、なんでか少し考えてみたけど、かなり怖いから、という答えに行き着いた。リムレスの時は絶対笑わない。木村柾哉の笑顔が本当に大好きなんだけど、それと同時に怖い木村柾哉も本当に大好きだから。木村柾哉なんて怖ければ怖いほどいい。

息を止めてバドボ、ワンナイ、ノンスト、、、Non-Stop?!?!?えっ?!?!!?!?リムレス木村柾哉の顔面を双眼鏡(これは前日にリムレス木村柾哉を見る為だけに買った)で追うことだけに必死すぎてなんの曲が始まっているかサビまで気づかなかった。口で咥えて手袋脱ぐようなアイドルを推していたことに絶望と希望を感じていたらいつの間にか初披露曲が始まっていたなんて。この曲こんなエロい感じだったんだ、気づかなかった。動揺してたら目隠しゾーンで木村を見逃した、この手の振りは抜かれると思って油断してスクリーンを見てしまった。必ず明日はファンカムになろうと決意。

ようやくエロがりゾーンが終わって、バラードゾーンでは客席を見続ける木村柾哉に涙し、Bullseyeの意味わからん振りを踊りこなす木村柾哉に歓喜した。3Dは神曲すぎて神だった。

MORE大好き侍、これラストなの最高。ブチアゲ。そしてアンコールは明るい泣かせ曲が続いてラストはHEROとFANFAREって😅俺が考えたセトリ?欲しい曲が欲しい順番で来て声が枯れるまで叫んだ。

本当に幸せというか、情報が多すぎるというか、最高がこの手からこぼれ落ちるくらい溢れてて、言葉が出なかった。断片的な記憶をかき集めていかに最高だったかを語りながら会場をでてスマホを見ると、Twitterの通知。小野賢章、応援してくださっている皆様へ。恐る恐る画像を開くと、離婚の文字。全身の血が引いて自分の足じゃ立てなかった。辛かった。こんな最高の空間でみんな笑顔なのに私だけがこんなに辛くて、申し訳なかった。

2人がその選択しかできなかったこの世が憎かった。それを発表させて、いろんな推測をされて、ファンを悲しませることをしたという罪悪感を抱かせていることが辛かった。そして結婚というものを心から信用できなくなった。

連番の友人たちにあまりにも申し訳ないので一世一代の大切り替えをしてひとまず忘れることにした。この最高な時間に一瞬でも水をさしてごめん。ペンラの写真撮ってから会場を離れ、みんなで居酒屋に行って酒を飲んだ。高校時代の友達とこうして地方のライブに行って現場終わりに酒飲んで、最高の時間だった。

 

また酒を飲んでいるし今夜はよく寝れるかなと思ったが、多分あれは気絶だったし微妙に浅い眠りであまり気持ちよくはなかった。翌日は一緒に泊まった中では私だけが参戦だったので、1人だけ朝から気合を入れて準備をし、朝だけ一緒にご飯を食べた。つばめトースト美味しかった。昨日の夜も今朝もそうだったけど、みんなが場所を調べ時間を考え適材適所の動きをして予定を考えている時間がかなりスムーズで、これだから私の友達は最高だよなと噛み締めていた。

2人と別れて1人スーツケースをもって現地に向かった。一緒にドームを迎えている気持ちだったけど、TL MINIと合流するのはここからで、なんだかすごい安心感だった。

メールトレカで謎に2枚抜きし、確定と合わせて3枚手に入れた。なのに引きが悪かったのでその場で手当たり次第に推し関係なく交換しまくっていたら、いつの間にか木村が2枚手元に来たし落下物まで貰えた。よく分からなかったけどあれが気持ちよくてトレカ交換してるから、いい時間だった。

写真を死ぬほど撮ったりお店を開いたりして時間を使い、会場IN。天井席ではあるけどKアリLevel7に比べれば最高と言える。今日ここで死のう、いい人生だった。リムレス髙塚については一度も言及しないようにしていたが、隣にいたあみとは完全に意思疎通できていたと思う。こんなに最高な3日間を人生のエンディングにできるなんて、今死ねたらなんて幸せだろう。死ぬのは大袈裟だとしても、しばらく人間を辞めて、明日の仕事も休んで実家に帰って、自堕落な生活をしようと思っていた。それくらい、この3日間を終えたあとの自分を想像出来なかった。

 

昨日の暴力的供給に耐えた3時間に比べれば、比較的身構えることが出来て抑えるべきポイントを抑えて観れたと思う。映画主題歌の初披露も想定の範囲内で、あまりにも大切そうに歌う木村柾哉の顔面力にさえ耐えれば何とか正気を保つことが出来た。比較的尺を取ったメントがあり曲の追加もあって、Wアンコは無いだろうと思った。案の定アンコール後速やかに照明がつき規制退場のアナウンスが流れる。一部客席からはアンコールの声が聞こえたが、終焉を告げるアナウンスが流れている以上終わりなのは確定している。余計な期待をして裏切られる絶望を味わうなら、きっぱり諦めてアナウンスに従えばいいのに。足掻けば足掻くほど、叶わなかった時がつらいんだから。そう思っていた。でも、アンコールが続いてしばらく経った後いきなりまさやの声が聞こえて、ステージ上にみんなが出てきてくれた。嬉しくて反射で泣いてしまった。冷めたことを思いながら、やっぱりどこかで期待していたから、こんな叶わない願いも叶えてくれるINIが眩しすぎた。照明も音響もままならないけど、みんなの愛が伝わってきたWhat A Night。絶対に忘れない。

 

「何度も言いますけど、心も体も健康でいてくださいね。次会う時まで、辛いこともあると思うけど、みんな元気でいてね」

 

呪いのような言葉だった。この瞬間だけを大事に抱きしめて満足するなんて、ここで終わりにするなんて、許してくれない。次に柾哉に会う時までかけられた呪い。会えない時間も全部まとめて柾哉が幸せにしてくれる。最後の日にしてもいいと思っていたのに、まさか柾哉が新しい人生を始めてくれるなんて思ってなかった。

今日この瞬間から、柾哉に健康を祈られた人生が始まった。

木村柾哉を推すこと

 

今年の3月、木村柾哉に出会った。

「怪物」というカイブツに遭遇してしまい、私の生活は支配された。何をするにも頭の片隅に木村柾哉の存在がちらつく日々。気を抜けば怪物をみたくなる中毒。

しかし、木村柾哉を推すと様々なことを「自分も頑張ろう」という気になれる。恥ずかしくない人生を送ろうと思える。木村柾哉に負けない強い女になりたくて筋トレも始めた。そんなある日、YouTubeでこんな動画を見つけた。

 

https://www.youtube.com/watch?v=nCOP1Ururrs

 

「私も登りたい」と思った。

日本人として富士山への興味はあったし、同じ場所へ行って同じ経験をしたい!負けたくない!と思った。同じだけ辛いことを経験し、人間としての差を痛感したかったのも少しある。漠然と体を鍛える日々に目標としても最適だと感じて、すぐに登頂を決意した。

流石に一人で登るより誰かと登りたいので誰か誘おう。友人MINIの中でこのトンデモお誘いに応じてくれるのはMしかいないと即判断し「突然ごめん、富士山登らない?」と連絡を取ると、「いく!ロケティ踊ろうね!」との返事。(※動画の最後に山頂でロケティを踊るシーンがある)流石の二つ返事。誘った身のくせに恐縮だが怖くて頼りになるし、私がなぜいきなり富士山に登りたくなったかを察知していて、Mしかいないと改めて自分の判断に確信を持てた。

年中登れると思っていたが調べてみると、富士山は毎年7月中旬から9月初旬までしか登ることができないらしい。6月中旬、Mとの予定をすり合わせると7月21日から22日にかけて、山頂で一泊してご来光を見てから下山する日程が一番いいという結論になった。この時点でほとんど1ヶ月しか準備期間がないことになる。その日から私は富士山登頂という目標を掲げて生活することになった。

私は普段全然運動をしないし、我ながら体がとてもなよなよしい。学生時代は陰気として文化部に勤しんでいたし、そもそも運動神経がない。多少の忍耐力くらいしか自信がなく、1mmも体を動かすことが嫌いである。そんな私が、日々嬉々として体を動かし始めた。エスカレーターと階段があれば必ず階段を使い、へとへとの退勤後も終電に間に合いさえすればジムに寄り、毎日プランクも徐々に時間を伸ばし、数ヶ月前の自分なら信じられない偉業を成しとげ続けた。では何故こんな日々を遂行できるのか。全て木村柾哉という存在のおかげである。

 

そして、うっすらと腹筋を観測するまでに至った体で富士登山の当日を迎えた。

今回私たちは富士登山のツアーに参加した。ツアーといっても様々なカスタマイズがあったが、私たちは行き帰りのバス、登山用具レンタル、山での宿泊所(小屋指定あり)、行き帰りのご飯、登山ガイドは無しというプランを選んだ。正直これは大正解だったので、是非登山の際には参考にして欲しい。

7:30新宿発のバスに乗り込む。まわりは既に玄人臭のする装備の人が多い中、無印良品のリュックとワンピースで合流。どうせ着替えるからと思っていたがさすがに少し気まずさを抱えつつ、まずは湯の花という富士山の麓にある温泉施設に向かう。

↑まだ元気なうちに写真撮ろうねとバスでましゃたくポーズをキメ、2.5時間ほどずっとINIの話をしていた。

湯の花ではレンタル品を受け取り、着替えと荷物を預ける。よく登山者が履いているピチピチのタイツを履いたり、謎の杖を借りたり、クソデカリュックを背負ったり、ついに登るんだなという実感が湧いてくる。Mは持参していたが私はここで初めて登山靴なるものを履いたりした。そして個人的一番ポイントだったのが、レインウェアの色。動画で柾哉が着ていた黄色がよかったが、私のレンタル品は真っピンクだった。上下真っピンクってどうなの???と変更してもらおうとしたが、黄色は貸し出しに無いらしいのと隣でピンク推しのMが喜んでいたのでよしとした。Mはオレンジも推しなので自分のウェアをオレンジに変更していた。

 

11:30ついに富士山五合目に到着。この時点で標高2400mとのことで、高山病に注意しなくてはいけない。高山病とは急激な気圧の変化により、頭痛や吐き気などの症状が出ることで、そこそこの人がこれに悩まされるらしい。ゆっくり体を慣らすことが大切とのことなので、ここで少しゆっくりめに弁当を食べ時間を潰す。しかしなんとも日差しが強い。それほど暑くはないのに普段より2000m以上太陽に近いからか、脳天が焼けるように痛い。急いで帽子を被ると今度は雲が出てきて辺りが白くなってきた。霧なのか雲なのか違いもわからないまま眺めていると、今度はちらほら雨が降ってくる。

登山は天気が命だということは流石に登山初心者の私でも知っていたので、数日前から富士山の天気は調べていた。登頂指数を載せているサイトがあり21日と22日を見るとBとC。A~Cで登りやすさを示しているらしくかなり絶望。最悪山頂まで行けずに引き返すこともありうるなと覚悟を決めてはきていた。しかし、到着してほんの数分の間に晴れと曇りと雨の3つを経験し、山の天気予報なんかに一喜一憂することは馬鹿らしいんだなと早速洗礼を受けた。

 

12:00過ぎに登山開始。早速動画で見た入口の看板で写真を撮った。ちなみに今回はもちろん彼らと同じ富士宮ルートを登る。富士登山には4つのルートがあり、富士宮ルートは一番距離が短い代わりに、岩場が多いとされている。ルートによっては他のルートとスタート地点が同じこともあるようだが富士宮は独立ルートなので比較的人も少なく、それゆえINIくんたちに選ばれたのではないかと予想している。

意図せずほぼ彼らと同じ時間に登り始めることにも運命を感じつつ、ここから行く全ての道を柾哉も登ったのかと思うと緊張も少し解れ、重たいリュックも軽く感じた。

天候は曇り、気温も丁度良くほんのり吹いてくる風がとても冷たく気持ちがいい。焼き付けるような日差しも無くなったのでめちゃくちゃ登りやすい気候だった。そして気温は大して変わらなくても、空模様は目まぐるしく変わる。空模様というのは一般的な意味より更に「空」の「模様」で、さっきまで遥か上の方を登る色とりどりな登山者が見えるほど澄み切っていると思ったのに、次の瞬間にはすぐ前にいる人にも靄がかかるくらい視界が全て真っ白になったりする。これが結構面白く、かなり気が紛れた。

そして雲が晴れた瞬間の景色は、本当に素晴らしかった。

目線より下に真っ白な雲の絨毯が広がっている様は夢の国にいるみたいだったし、空は今まで見たどんな青空より青かった。遠くの方に見える海も人工的な街も、そこらへんの展望台で見るそれとは一味も二味も違った。山の斜面には黄色の可愛らしい花がたくさん咲いていて、その淡い色合いもまた景色に彩りを与えていて乙だった。景色から受ける感動なんてたかが知れてていると思っていたが、それを遥かに超える圧倒的な美しさだった。

↑初めて雲が晴れ青空が見えた時、感動のあまりオタクによって雲の上に立たされた木村

 

一歩一歩、五十歩五十歩、百歩百歩、デケェデケェ(動画参照)と踏みしめながら登っているうちに、道にも種類があることを学び始めた。5合目から新7合目あたりは砂利や砂の坂道、お情け程度の木の階段、ギリ階段状と呼べる岩、が多かった。距離は様々だが割とフェーズで分かれていて、ここから少し坂道登って、その後しばらく岩の坂道、などと区切りつけることができるのは、目標と達成を味わいやすく登りやすいとも言えた。岩階段が一番しんどい、と見せかけて実は砂利の坂道が一番しんどい。坂道砂利の野郎は非常に滑りやすく進んだ10を7にしてしまうという特性を持っていて、これが結構精神的にも体力的にもくる。進んでも進んでも対して距離を稼げず、岩場と違ってどの石を使って登ろうかなどの思考もないため、足を前に出すだけの作業になり単調でしんどかった。

山登りはどうしても目線が下になり、富士宮は特にほぼ横移動がなく縦移動が激しいだけなので景色も変わりにくく、淡々としたものになりがちだった。登り続けることさえできれば1時間も経たずに次の合目まではいけるが、それ以外の目標物や楽しみが非常に重要である。なぜ我々がそれに気づけたかというと、もちろん例の動画である。LAPONE編集部が山小屋(合目)以外のスポットも少しずつ動画に残してくれていたおかげで、そのスポットを見つける作業が私たちにとって最高の楽しみになった。富士登頂が目的で忘れていたけど、やってることは聖地巡礼と代わりない。聖地巡礼ってやっぱり楽しい。

 

私たちがみつけた一つ目のスポットは3000m標識。これは14:50頃、登り始めて3時間経たないくらいの新7合目と元祖7合目の間に案外サラッとあった。新と元祖ってなんだよ、という少しの苛立ちを抑えてくれるような可愛い彼らの写真を見つつ、おんなじだー本物だーとはしゃぎながら自分たちも写真を撮った。そしてこのタイミングで丁度BeReal.がきてタイミングの良さに驚いた。

言い忘れていたが当然のようにトレカもラババンも付けて登っているし、アクスタも持ってきている。かなりの登山者とすれ違ったがそんな奴は一人もいなかった。富士山に何をしにきたのかと怒られるかも知れないが、推し活をしにきているので末期のアホだと見逃してほしい。エアリズムのポロシャツも黄色をわざわざ買った。すでにメルカリ市場で最低値7700円を叩き出しているラババン(定価500円)を持ち歩くことに抵抗はあったが、ピックを前に出す時の視界にこの黄色があるだけで超えられた岩場は数知れない。それから私が初めて手にしたMからもらった木村柾哉のトレカも、しんどい時に見ては顔の可愛さに新鮮に驚き、一歩を踏み出す気力を与えてくれた。本当に持ってきてよかった。友人AJからもらったポムの超絶かわいいケースにも感謝。

 

二つ目のスポットは元祖7合目の近くにあった動画内で柾哉がインタビュー?を受けている時に座っている岩。通称「柾哉岩」

要所々々で動画を見返しながら登っている中で、このインタビュースポットはさすがに見つけられないかなあと思っていたところ、特徴が全く同じ岩を発見。岩だらけの環境でこのひとつに大はしゃぎしている私たちはかなり異質だったと思う。

本当にここに来たんだ……本当に全く同じルートを歩んでいるんだ……と再確認し、ここまでの疲れが完全に吹っ飛んだ。柾哉が座った岩に座って(←やばい)、死ぬほど写真を撮り、ここで30分近く騒いでいた。そりゃ疲れも取れる。

 

元祖7合目から先は砂利や坂道より岩場が増えてきた印象だった。今までの岩場はまだ通る道がなんとなく限られていたが、この辺りからどこをどう登れと?という場所が増えた。勢いでは太刀打ちできず一歩一歩足をあげないと登れない岩が連続で続いたり、登りやすそうな岩場のルート取りに必死で下ばかり見ていたら道のりを補助するロープに頭をぶつけたりした。

この日は比較的空いていて前後にチラホラ人がいる程度だったが、この手の岩場になるとみんなペースが落ちるので人が密集し、段差の途中で休憩を取っている人も見られるようになった。基本的に道はそんなに広くないので後ろから早いペースの人が来ると前の人はみな譲るのだが、中途半端に同じペースだと譲りにくく後ろからの圧なども感じて少し無茶な登り方をしてしまったりもした。しかし比較的私たちは前を譲ってもらうことが多く、かなり順調だったようにも思う。Mより明らかに体力の乏しい私が前を登りペース配分を任せてもらえたことも、かなり大きかった。ゆっくりペースを合わせてくれたMには感謝してもしきれない。

登山客の外人割合はほぼ半分くらいだった。韓国中国は見た目ではわからないが、欧米の人間の登る速度は信じられなかった。軽々しく前を進んでいき、私の倍の長さの足で軽々しく岩を登っていた。日本人とすれ違ったり順番を抜いたりすると軽い挨拶などを交わして、ささやかに体力が回復した。

道のりはどんどん険しくなり足の疲労感はかなり感じていたが、なによりも肺活量不足を感じた。酸素が薄い感覚はあまりわからなかったけどこの辺りからもう段々と薄くなっていたらしく、それが息切れに直結していたのかもしれない。しかしそれも少しずつ休憩を取れば比較的すんなりと回復し、連続した岩場も乗り越えられた。また、でかい声を出すということもかなり有効だったと今振り返ると思う。力を込めて足を上げていると無意識に息を止めてしまうが、「よいしょー」「ナイスよいしょー」(動画参照)と言いまくっていたので息をすることを忘れずに済んだ。たくさん呼吸することも高山病予防になるらしいので一石二鳥だったかもしれない。ずっとうるさかった私に付き合ってくれたMには感謝してもしきれない(2)

 

16:30頃八合目に到着。動画の彼らよりちょい早いくらいのペース。ほとんど青空が見えなくなり視界が真っ白になることも増え、立ち止まるとまだ防寒着を来ていない私達は少し寒さを感じ始めていた。山小屋の前は大抵どこも人が沢山いるので少し過ぎた場所にあった岩場で休憩をしながらまた動画を振り返ると、八合目のベンチという写真スポットを逃していたことに気づき急いで写真を撮りに戻った。

ちなみに休憩の度にパイナップルのグミとかドライフルーツのパイナップルとかを食べてた。浮かれパイナポー。塩分タブレットも食べたんだけどこれが異常に美味かった。これが異常に美味いって危険じゃない?と思って沢山食べた。あとはとにかくこまめに水分を取っていた。これも高山病予防になるらしい。食べるほど飲むほど荷物は軽くなるので躊躇いなく飲食を重ねた。

 

動画で予習をすると八合目の後にすぐ鳥居があって、ちょうど後光が指す感じの画になってめちゃくちゃ綺麗だったので次はこれを楽しみに進むことにした。でもあまりにもあたりは真っ白でしばらく太陽なんて見ていないから、まあ程々に楽しみ〜と言いながら進むと直ぐに例の鳥居があった。こんな所に鳥居あるの本当にかっこいいねーと写真を撮っていると、なんと、、、

青空と太陽………!!!!

めちゃくちゃでかい声が出た。神がかっていた。本当にさっきまで辺り一面真っ白だったのにいきなりこのタイミングで太陽が出るなんて。大はしゃぎで写真を撮りまくった。

はしゃいでいるうちに太陽どころかもう空全体が青空!って感じになって雲海も綺麗に見えて、綺麗綺麗と連呼しまくりながら騒いだ。本当に綺麗だったし、1度八合目のベンチに戻っていなかったら鳥居と太陽のタイミングはズレていただろうから、自分たちの強運っぷりにも感動していたし、何故か推したちに感謝しまくっていた。その時、、、

に、虹ーーーーーッ!?!?!?!?!?!

さすがにやり過ぎでは?って感じの演出。しかもこれいま画像で見たら二重でかかってるねすごすぎる。うちらもかなり騒いでたけど、上からも下からもでかい声が聞こえたのでさすがにみんな虹に沸いていた。登ることに必死で下ばかり見てたら気づけないし、一瞬で雲で隠れちゃったからみんな気づけて良かったね😭という謎の優しい感情になった。

 

そして八合目と九号目の間にはもう1スポット。昔鳥居だった柱が2本残っていて、その木の隙間にみんなお賽銭を入れているという場所。こちらも彼らが10円玉刺したのはここかなーという場所を動画と見比べつつ探したりして楽しんだ。

後半は岩場が多くて一歩踏み出すのが本当に辛い時もあったけど楽しめるスポットや天気にも恵まれ、同じ道を登った動画内の彼らの明るさにも助けられながら、楽しめる気力を残して17:40頃ようやく九号目に到着した。

 

今回は彼らと同じく九合目にある萬年雪山荘という山小屋に宿泊するので、今日のところはこれでゴール。本来宿泊先の山小屋はランダムだがツアーを申し込む際に課金をすることで指定できたので、ここのお金は惜しまず同じ宿を指定させていただいた。

体力的にも天候的にも辿り着けるか不安だったが、無事に2人とも元気なまま、というかめちゃくちゃ楽しんで一日目を終えることが出来てちょー最高の気分だった。九合目に着いた時はまた空模様の良いタイミングで、下を見下ろせば今日自分たちが登ってきた道のりをかなり見返すことができ、達成感もひとしおだった。

山小屋では既にほかの宿泊客が飯を食いながら酒を飲むなどしていて、みな達成感の中すこし浮き足立った雰囲気を漂わせていた。言葉を交わさずともほんのりとした一体感があり、無口そうなおじさん達に写真を撮ろうかと声をかけられた時は、思わずオーバーに喜んだ。

こんな山小屋でも一応宿泊施設なので、やんちゃそうな兄ちゃんスタッフからチェックイン手続きを簡単にしてもらい、今夜の宿泊場所を案内してもらった。柾哉たちと同じ場所に泊まるの、やばい。山小屋での宿泊は大勢との雑魚寝で快適さとは無縁と聞いていたので、少し緊張しながら案内された場所はこんな感じだった。

狭い廊下の両側に2畳程の部屋が上下2段ずつ並んでいて、廊下とはカーテンで仕切られている簡素な部屋。中には5個くらい寝袋が並んでいるだけ。なかなかの環境ではあったが、大部屋に所狭しと寝袋が並んでいることを想像していた私としては比較的プライベートが確保されているなと少し安心した。しかも同室は今日ずっとお互いに抜きつ抜かれつの関係でなんとなく一緒に登ってきた中国人のお姉さん2人組。外人であればお互いの会話が分からず変に気を使わなくていいやラッキーと思いつつ、軽く挨拶をしてにこやかに共に入室した。

靴を脱ぎ、荷物を下ろす。着替えのことを考えると服を脱いだりは出来なかったが、それだけで物凄い開放感だった。体が軽すぎる。ひとまず貴重品だけ持って部屋を出てツアーに付いている夕食を食べた。ご想像通り、もうめちゃくちゃに美味かった。舌ではレトルトのよくある普通の味だとわかっているんだけど、頭がこれを御馳走としていた。席から見える外の景色もカレーを食べるにしてはあまりにも絶景で、ベタな表現だか最高のスパイスだった。

一瞬で平らげ、ラーメンも追加で注文しちゃう?などと言っていると、スタッフさんの「ツアー来ましたー」という声と共に何となく見た事のある顔ぶれがぞろぞろと入ってきて、これは同じバスで登ってきた客の中でガイドありプランの人達だと気づいた。ガイドの有無はツアーに申し込む時に悩んだが、ガイドありではただの岩に30分盛り上がったり出来ないだろうと付けないでいた。しかし、まさか全てを存分に楽しんだ上に登山未経験の私たちがガイドありより早く登れたなんて。優越感を噛み締めながらコップに残った温かいお茶を飲み干した。さっきより数倍美味かった。

 

富士山では水が非常に貴重で水道や風呂なんてものは全くない。一応トイレはあるが各合目の山小屋にしかなく、基本的にチップを払えという名の有料なのでここまでほとんど利用してこなかった。そもそも大量に汗をかいているのか全く尿意もなかったが、宿泊客は無料だというのでここで有難く利用させていただいた。

当たり前に男女は共用で、男性用の小便器で用を足している男の後ろを普通に通り過ぎ、個室に入った。しかし扉を開けた瞬間に、めちゃくちゃ臭い。何かの間違いかと思うくらいの強烈なアンモニア臭。当たり前だが水洗ではない、そりゃこのくらい臭うか仕方ない、と覚悟を決めてから個室に入り便器の蓋を開けるとさらに、もう本当に、びっくりするくらい、くさい。臭いに圧があった。蓋を開けた瞬間に空気圧を感じた。マジで生理的に泣きそうになりながら用を足した。

 

部屋に戻って軽く荷物を整理し、合法的に風呂に入らなくていい楽さに感謝した。もちろん汗でベタベタなので風呂に入りたい気持ちはあるが、あまりにも全身が疲れ切っている。風呂の代わりに、気圧のせいでパンパンにパッケージが膨れ上がった体を拭くシートで服を脱がなくても拭ける範囲の体を拭き、その気持ちよさに2人で声を漏らした。

翌日はご来光に間に合うように宿を出る人がほとんどのため、朝食の弁当は夜中の2時から配り始めるらしい。夜中の2時に朝食?一日の最初に食べるものが朝食だよね。それに合わせて1:30にアラームをセットし、寝袋に潜り込んだ。

さあ寝るぞ、と意気込みつつ、わかってはいたが、全く眠れない。こんなこともあろうかと持ってきていたイヤホンで30分のラジオを2本聞いても全く眠れない。てか寝袋が暑すぎる。寝袋の中でハーフパンツを脱ぎ、なんなら寝袋から出てその上に寝ていたが、それでも暑かった。長い夜を過ごし、寝たんだか寝てないんだかわからないままアラームに起こされた。

 

周りの部屋はゴソゴソ物音がしていたが同室のお姉さんたちは寝ていたので、Mとお互いの手元をスマホで照らしながら身支度をした。暗闇の中、鏡なしでコンタクトを着けるのには苦労した。2時になると弁当を配られるどころか強制的に全部屋に明かりがつき、みんながドタバタと支度をしていた。

その中でやはり、高山病という単語が周りからよく聞こえてきた。寝起きにいちばん症状が出やすいらしく、みんな周りの人の体調を気遣った会話が聞こえてきた。私たちは幸いにも2人とも元気で、なんなら筋肉痛も来ていなくて、逆に明日以降のキャッシュバック(?)に怯えた。

部屋は暑いのに外はもちろんめちゃくちゃ寒いらしいので、最悪の気分で厚着をしてから部屋を出た。弁当を受け取り、腹が減っていたのでその場で食べる。ご飯に乗っていたカリカリタイプの梅干しを食べたMが「種がない」と言っていた。あのタイプの梅干しで種がないなんてあり得ないので、多分飲み込んだんだと思う。外に出ると確かに寒かったが脅されていたほどではなかったし、夜空ではあるが雲ひとつなく晴れていて星が綺麗だった。てか朝5時くらいの感覚だったけど全然暗くて変な感じがした。

山小屋内は電波がゴミで気づかなかったが、外で電波を受信するとなんと、木村柾哉からのメールが。富士山九合目で読む木村柾哉のメールとセルカ。なんと栄養価の高いこと。この瞬間、9時間睡眠とったことになりました。

 

推しを摂取し、いざ山頂へ。九合目から山頂までは約300mであっという間に登れそうだが、間に九合五勺目があるほどその道は険しい。今までより激しい岩場を激しい傾斜で登り、まじで絶対に人間には登れない岩も登った。ただ、みんな同じような時間に出発しているので道が混み、強制的に休みながら登ることができたことで体力的には楽だった。それからあまりにも星と月と夜景が綺麗で、視覚にかなり癒された。月は目線のほんの少し上にあって自分たちの標高の高さを実感したし、星はもう多すぎて空が白く濁ってるだけに見える部分もあった。寝て起きたあとなのに下界には夜景が見えて、あの光で生きている人たちは真っ当に26時を過ごしているのかと思うと変な感じがした。何度も繰り返すようで申し訳ないが、富士山から見える景色ってほんまにレベチでエグい。景色なんかで体力は回復する。

横を見ると自分たちの立っている場所は広義的にはほぼ崖で、体重を後ろにやれば下まで落ちてしまうのでは無いかと暗闇の中で大袈裟に思ったりした。そして上を見ると、みんなヘッドライトを付けているので、ゆく道が人の点で照らされて見える。その道先が段々と短くなることで、頂上がもうすぐだとわかった。

そして遂に、

頂上の鳥居!!!!!!!!

写真じゃ伝わらないかもだけどありえない岩場に斜めに鳥居が立っていて、岩場の上で一礼し、そこをくぐると、ついに、頂上!!!!!!

やったーーーーー!!!!!!!!!

富士山の頂上に着いたぞーーーーーー!!!!!!

登りきったーーーーーーー!!!!!!!

すごい、本当にすごいよ、私たち。登山未経験のくせに初手で富士山登りきっちゃった。いくらなんでも流石にかっこよすぎる。でもなんかもう逆に信じられない。目の前に動画とおなじ頂上の光景が広がっているけど、動画を見すぎて幻覚を見てる気さえしてきた。

頂上にはさらにもうひとつ大きな鳥居があり、浅間大社という神社と郵便局とポストがある。そう、ポストがあるのだ。このポストこそ、私たちの第2の目標と言っていい。実はこのポストから、初めてのファンレターを送りたいと2人とも手紙用意してきた。富士山を登りきって、山頂からファンレターを出す。こんなに尊い推し活があるだろうか。ちなみにお察しのおとり、私のファンレターの内容は半分近く怪物について綴っている。もう少し読み手のことを考えた方がいい。この目標を達成できる喜びから、ポストの前でずっと手紙を投函せずにソワソワしていた。登り終えたみんなが歓声を上げたり、鳥居の前で集合写真を撮ったりしている中、私たちはポストの前でソワソワしながら一生写真を撮っていた。本当に富士山に何しに来たんだと言われそうだが、推し活をしに来たので何も間違っていない。

ソワソワしてる間に真っ暗だった空がほんのり明るくなり始めたのでさすがに覚悟を決めて投函し、遂に剣ヶ峰へ向かった。剣ヶ峰とは山頂の中でもさらに1番高い場所であり、まさに富士山の3776mの場所である。

 

登頂に成功し、更にファンレターも出し終えた私たちは、めちゃくちゃに足取りが軽かった。また、この時点で最高のご来光を見れることを確信できるほどの快晴。視界に入る雲はほぼ全て下にあり、風といった風も吹いていない。最高の空模様。あと少しで走り出しそうだった。ほんとに無自覚でそうだったので「待って今めちゃくちゃ歩くの早くない?」となりウケた。最後こそ気を抜かないようにしようね、と気合いを入れ直し剣ヶ峰へのラストの坂を登り始めたが、なんとこれが乾いた砂道+ここに来て過去イチの傾斜で、一瞬でも気を抜くと転がり落ちそうな代物。ほぼロッククライミングの要領でロープに捕まりながらなんとか登りきり、

ここが紛れもなく日本一高い場所です。感動。

本当に?って感じだけどそうじゃないとおかしいくらいあまりにも景色が綺麗だった。天気が良すぎた。何が登頂指数C判定だ。雲も何も遮るものがなくて地平線が真っ直ぐすぎる。それなりに人はいたけど、まだ全然早い方だったらしくかなりいいポジションを確保できた。この頃にはもう結構空が明るくてこれがまためちゃくちゃ綺麗

ここまで温存してきた豊永のアクスタもこの景色には流石に出動。ご来光までの時間をみんなで固唾を飲んで待つ。正直結構早い段階からそれらしい光が出てきていて、今?いやまだ違くない?といった空気が流れていたけど、さすがに本物の瞬間はみんなで歓声を上げた。

写真じゃなーーーんも伝わらんけどね!!!!

まじでめちゃくちゃデカくて赤くて凄いんだよ、ほんとなんだから。みんなも登ってみてね。

ご来光に「INIが日本一になりますように、木村柾哉が一生幸せでありますように」と祈りを捧げ、ひととおり堪能した後、剣ヶ峰の一番高い岩という場所を触りに行った。鳥居、山頂、浅間大社、剣ヶ峰、と来てもうおながいっぱいではあるが、これこそが本当に正真正銘のてっぺん。ここに立つのが一番楽しみだった。

日本一高い場所で木村柾哉を掲げた。

めちゃくちゃおもろかった。今日本にいる人の中で、私が一番高い場所に立たせてもらってるわけですが、木村柾哉を掲げています。何それ最高。お互いの写真を撮りながら「本当に今日本一高い場所にいるの?wwwそれで推しの顔掲げてるの?www」と笑っていた。

流石に他撮りツーショも欲しいねとなったが、なぜか周りにはあまり人がいなくてほとんどの人は最高峰石碑の方に並んでいた。今ならオタク2人を退かすだけで日本一高いの場所に立てるのにもったいない。仕方なく一番近くにいたGoProで撮影をしていた気難しそうなおじさんに声をかけると、案外快く写真を撮ってくれた。それどころか様々な画角を試してくれて、めちゃくちゃいい写真を撮ってもらえた。やっぱりカメラ持参勢は強い。

 

日の出待ちの時間も含めるとなんだかんだ剣ヶ峰を1時間近く堪能したが、私たちが降り始めてもまだ石碑前は写真撮影の行列ができていた。もうすっかり辺りは明るくなっていて、山頂といえどそれほど寒さは感じない。動画内では寒さに震える彼らを観測できるので、本当に天気に恵まれていたのだと思う。

↑最高峰地点は赤く塗ってあった

 

さて、ここからは全てが下り坂になる。まず第一関門として剣ヶ峰を下る。が、この備忘録を書いている今思い返しても、下りの中で一番キツかったのはこの坂だった。前述の通り乾いた土+急傾斜なので、本当に転げ落ちるしかない。ダンボールさえあれば優勝できるんだけど、ないので無様に滑り落ちる。まだ下り坂に対するノウハウが出来上がってないタイミングでこの試練は、この後約1300m分の下山に対する不安を煽られた。

土まみれになりながらなんとか浅間大社のある場所まで戻ってくることができた。そういえば山頂で彼らがロケティ踊った場所はわからなかった。適当にここら辺で写真撮っとくか、ついでに防寒具もある程度脱ごうか、と火山口の端にある適当な岩に腰を下ろすと、Mがスマホを見て声を上げた。「高校の部活の先輩がちょっと前にあげたストーリーなんだけど、見て」そう言われて見せられた画面には、昨日私たちが大はしゃぎした八合目の鳥居の写真。流石に見間違えるわけがない。え、今、川女の先輩も富士山を登ってる?

大興奮と大混乱のままMが連絡を取ると、本当にその先輩はたった今登山中で、しかも私たちと同じ富士宮ルートらしい。富士宮は上り下りのルートが全く同じなので、この後私たちが降り始めれば必ずどこかですれ違う。お互いに今の見た目の写真を送り合って、約10年ぶりの再会に備えることになった。

 

そんな奇跡みたいな話があるんだねと興奮が治らないまま、雰囲気ロケティを撮影し、ウィダーなどを食べて、一応トイレによってから下山することにした。するとなんとここのトイレはPayPay使用可とのこと。多めに持ってきていた100円玉も細々と消費していたので非常に助かる。受付のおっちゃんにトレカを見られ「推しと登ってきたのー?」などと会話をし「ここは日本一標高の高いトイレだよ。しかもPayPayで払えばその履歴も残るよ」と言われ、確かに!と少しテンションが上がった。トイレに付加価値をつけられた経験なんてなかったので、おもろかった。

トイレを出たところにはでかい水のタンクがあり、蛇口がついていて簡易的な水道になっていた。蛇口を捻ると水が出てくる場所は登山中なかったので、久しぶりに水で手を洗い、ウェットティッシュとは比べ物にならない気持ちよさを感じた。

 

そうこうしているうちに6:00になって、さっきまで閉まっていた浅間大社も郵便局も営業を開始していた。郵便局には行列ができていたが、先ほどポスト前を堪能した私たちには縁がない。せっかくなので、彼らに準じて浅間大社でお賽銭をし、おみくじを引いた。大吉を引き当てた柾哉には敵わず二人とも微妙な結果だったので括り付けてきた。ほんの二、三日後に父も富士山に登りにくる予定なので、なんとなくそれへの置き土産の意味も込めて、落書きをしておいた。あとちゃっかりお守りも買った。もちろんそれぞれ推しの色を選んだが、Mは「この下地うっすらピンクに見えない?」と天才発言をしていた。確かにピンクに見えたし模様はオレンジなので完璧。

いよいよ下山を開始するぞーと意気込んだ時、ふと見た少し遠くの岩に、なんだか強烈な既視感を感じた。もしかして、これは、

ロケティ踊ってた場所だ!!!

まさか剣ヶ峰周辺じゃなくて山頂入り口だったなんて。確かにこっちの方は人の邪魔にはならないだろうしめちゃくちゃ景色もいいけど、結構怖い場所だったよ。ここで踊ったんだ。最後の最後に見つけられて本当によかった。てかこれ見つけられたのすごくないか。流石にもう悔いはない。それにしても本当に天気がいいな。

 

意を決してようやく6:30下山開始。登っている時から下りめちゃくちゃ怖いだろうなと思っていたけど、めちゃくちゃ怖かった。体力はそれほど使わないけど、ひたすらに精神力と集中力を削られる。登りと逆で砂利道は滑り落ちればいいので楽だが、むしろスピードが出てしまい無意識に体に負荷がかかる。岩場は言わずもがなだが、特に段差の距離感が上からだとイマイチ掴めず、一歩一歩がどのくらい落ちるかわからず怖い。登っている時はすぐに息が上がってしまいこまめに休憩をしていたが、下りは息が上がらず雰囲気でも降り続けられるので集中力がいつの間にか切れ、なんてことない砂利に足を取られる場面がよくあった。

↑せっかく持ってきていたのに出すの忘れていたので、下山中になんでもない場所で撮ったケミトレカ

 

登り同様目線が下になりがちな中、こまめに前を見ていると、さっき写真で確認した先輩と同じ見た目の登山者が。するとあちら側もこちらに気づいて、無事に奇跡の再会。すれ違いざまに「久しぶりー!」なんて言いあってる登山者は冷静にありえないので、登りも下りの道もそこそこ混んでいる時にすれ違ったこともあり周りの客からざわざわと好奇の目を向けられつつ、Mと先輩は再会のツーショットを撮っていた。本当にこんなことあるんだなあ。

 

本当に最後のタスクを終え、二日間かけて登ってきた山を一歩一歩下っていく。あれだけ頑張ってせっかく頂上まで行ったのに、どんどん下っていくのはなんだか悲しかった。というかあんなに頑張って登ったんだから、下りくらいロープウェイ的なものを用意して欲しかった。天気は変わらず良いままだったので多少日差しが痛く、これが登りでなくてよかったと改めて自分たちの強運に感謝した。やはり登りよりも短い時間でどんどん降りてき、元祖七合目付近で柾哉岩に再び思いを馳せ、9:40頃新七合目から六合目に向かおうとしたその時。ブワッと下界を彷彿とさせる不快な湿度を感じ、次の瞬間バチバチと雨が降り始めた。

急いでレインウェアを上だけ着直し、リュックカバーを付けた。普通雨はザーッと降るだろ、と思うかもしれないが、本当にバチバチと降っていたので何事かとよく目を凝らすと、恐らく雨に混ざって氷の粒が降っていた。いわゆるヒョウというやつだと思う。最後の最後に最悪だ!と少しは思ったけど、山の雨を経験しないまま登山を遂行し終えてしまうのも醍醐味を味わい切れていない気はしていたので、タイミングとしては一番良いかもしれない。二人して結構楽しみながら、初雨の中の下山を開始した。ここから先の道は岩場もある程度終え、細かい砂利が増えてきていたので、多少道に湿り気がある方が降りやすく、本当にいいタイミングで雨降ったね、と感謝していた。

 

しかし、新七合目から六合目の間は、本当にめちゃくちゃしんどかった。なぜあそこまでしんどかったのかはわからない。集中力が切れたのか単調な道が続きがちだったのか、あとやはり雨のせいもあるのか。私はここで完全に膝を痛めた自覚があり、一歩一歩が本当に苦痛だった。六から七の道のりは登りでそんなにキツかった印象がなかったこともあり、そのギャップにも苦しめられたように思う。雲のせいでどこにゴールがあるかもわからないまま永遠と進み続け、ようやく六合目の山小屋に辿り着いた時は、もう二度と歩きたくないくらいの疲労感だった。

ここで結構デカめの休息をとり、なんとか五合目までのラストスパートの気力を貯めた。すると、下の方から何やら騒がしい声が聞こえてきて、小学生?か中学生くらいのガキが行列列をなして登ってきた。静岡あたりの学生は学校行事で山を登るのだろうか。すれ違いざまの私たちに挨拶をしてくる奴もいて、そういえば中学生くらいの時は誰彼構わず挨拶する習慣あったなーと懐かしんだ。てかお前らこれから登るの?私たち結構しんどかったけど。でも逆にガキの方が体軽いし案外体力もあって余裕なんだろうか。そういえば、団体学生じゃなくてもちらほらと親に連れられた明らかな小学生をこの二日間で見ていた。子供のうちに受動的に富士登山を経験できるのはありがたいことだろうが、絶対大人になってから能動的に登る方が気持ちいいぞ、と相変わらず性格悪く考えたりした。

 

なんとか雨も落ち着き、10:50六合目を出発。登りの時に動画の「建物が見えました」の件を拾い忘れていたのでここで一応回収。そしてようやく、五合目に帰還!

よくやった、本当に、よくやりました!

2人とも怪我なく体調も崩さず、無事に山頂に行って帰ってこれました!天気にもほとんど恵まれてやりたいことも見たいものも全部できた!えらすぎる!強い女!帰りのバスにも余裕で間に合ったし、時間配分まで完璧!(ちなみに集合時間に遅れた場合は容赦なく五合目に置いていかれるらしい、怖すぎるだろ)そして何より、2人ともずっと登山を楽しめたのが本当に凄かった。私たちの日頃の行いの良さとポテンシャルを見せつけたね。最高だよ〜、本当に。とてもとてもありがとう!

 

そしてこんな経験をさせてくれた木村柾哉。あなたのおかげで日々頑張れるし、富士山にも登れたよ。こんな素晴らしい経験ができたのも柾哉のおかげです。柾哉を応援するようになって自分の人生が前よりも好きになれた気がする。きつい時も柾哉の顔を見れば本当に元気が出てきて、それも全部柾哉がMINIを大切にしてくれてることがいつもちゃんと伝わってきているからだよ〜。日本一になろうな。

 

みんなも富士山登ってみてね、あと二年後くらいなら一緒に登りたいかも。それではこの世で1番気持ちよかった風呂の後に飲んだ、この世で一番うまいビールと共にお別れしましょう。長文読んでくれてありがとうございました!

イギリス旅行記 Day5

ようやくよく寝たと父が言っていた。

可哀想に、せっかく時差ボケもなくなったところで本日帰国です。一方わたしはほんとに時差ボケとかなかったな、日頃キモイ生活リズムやらせてもらってるおかげです。

 

最後の朝ごはんを食べに行き、美味しいクロワッサンに別れを告げました。バイバイバターまみれのクロワッサン。

お土産で増えた荷物も何とか押し込み、溢れた分はスカスカの父のスーツケースに入れてもらった。オタクなのでA4のハードケースを持ってきていて折りたくないものはほとんど守れた。

LLLで韻を踏んでるホテル看板の写真を撮る父

1時間地下鉄に乗って空港へ。地下鉄の列車たくさん乗って気づいたけど路線によって全然横幅とか作りが違った。日本はメトロJR等で結構統一感あるんだな。列車の中でスーツケース置き場にふつうに自分たちのスーツケースを置いてキャスターのストッパーを付けていたんだけど、途中で乗ってきた人達がそこにスーツケースを横に倒して積み重ねておいていて、なるほどな、、となった。もう今更変えるのも恥ずかしいのでそのまま1時間乗った。

賢いスーツケースの置き方

空港につき離陸の3時間前。ここで昨日セットしたアラームがなり、無事推し絵師の新刊を無事購入。スーツケースを預けるのはまさかのセルフ。自分で重さ測って出てきたシールを自分でスーツケースに着けた。このシールがすごくて最初は両面サラサラなのに、サラサラの面同士を1回くっつけるとありえない粘着力でバッチリくっつく。なんかシートを剥がすのかと思ったけどそんな感じじゃないから試しにくっつけてみたら一瞬でくっついちゃって焦った。その後手荷物検査を終えてゲートに入り、中のクソデカショッピング街をフラフラした。噂だとハリーポッターグッズショップもあったはずなんだけど、なんか閉店してた。空港のおみやげ屋さんを舐めてたけど、絶対ここで全てを買えばよかったってくらいなんでもあった。

 

時間になって飛行機に乗り込み、今度は隣が日本人のおっさんだった。いつも窓際がいいという父に譲ってしまったので、おっさん二人に挟まれる席順になってちょっと微妙だった。またドリンクサービスがあり、父はまたハイネケンを頼んでいた。でもその後の「食事用に他のドリンクはいる?」という質問に適当に相槌を打ったせいでハイネケン2本貰っていた。しかもこの後食事を配られた時にも飲み物いる?と聞かれて、ハイネケンあるから大丈夫だよとジェスチャーで示したのにハイネケンもう一本ね!と勘違いされ三本目までもらっていた。ついでに食後の飲み物はコーヒーと言ったのに飲んだら烏龍茶だ!と言っていてそんなわけないだろと味見したら紅茶だった。これにて馬鹿舌物語も閉幕です。皆さんありがとう。

 

 

追記

・日本って外国語の表記たくさんあってすごい、海外は全然なかった。

・みんなスマホあんまりみてない、歩きスマホなんていなかった。

・イギリス人、たくさんコミュニケーションはとるけど後腐れはない。例えば去り際にもう一度挨拶をする、とかは無い。

・前髪のある人まじでいなかった。地下鉄とかありえない風吹いてたし前髪ありじゃやってけないのかな。

・日本の横断歩道ってほんとに親切。ここにほしいよなってところに横断歩道があるのは日本だけ、イギリスだいぶ不親切だった。

・横断歩道の信号はすぐに変わるタイプと1回黒挟むタイプとカウントダウンタイプがあった。

・青信号は結構自由で、ひとりが歩いてる絵もあれば2人もあった。♂♀の記号のところもあってまじ意味わかんなかった。

イギリス旅行記 Day4

今日はついに一人旅の日。

都内から離れた田舎でコアなHarrPotter聖地巡礼をします。この日に向けて日本から列車の予約をし現地の市バスを予習し映画の復習及び該当話のDLを行ってきました。対戦よろしくお願いします。

 

まずホテル最寄りから地下鉄でパディントン駅に向かう。このルートは2日目のオックスフォードと同じで予習済みなので問題なし。45分も余裕を持って到着。イギリスではスタバよりも沢山見るCOSTAで朝ごはんを調達しようとすると、先客のおばさんが店員にすごい勢いで愚痴ってた。ニコニコしながら後ろで注文を待っていると店員さんがおばちゃんの愚痴をさえぎって注文を受けてくれて、目線だけで参ったよって助けを求めてきた。大変だよねと目線だけで返すと素敵な時計ね、とアップルウォッチのバンドを褒めてくれた。コーヒーとクロワッサンを買い優雅に片手で紙袋とコーヒーカップを持つ。これで風貌は現地人。ホームについてもまだ列車は来ていなかったし、朝早くて電光掲示板にはまだなんの表示もなかったのでベンチに座ってコーヒーを啜った。

少しすると列車の予約をしたアプリに該当の列車はplatform10に到着すると表示が。しかしまだ10番線には列車がない。ここは始発駅では無さそうだしギリギリに来るのかなとまだ余裕でコーヒーを飲む。

しかし10分前になっても列車は来ない。10番線で待ってる人に声をかけるも駅員に聞いてくれといなされ、駅員に聞くと6:45発の列車は2番線だよと言われる。大慌てで2番線まで走り近くの駅員にスマホ画面をみせこの電車これ!?と聞くとそうだよ!!がんばれ!とダッシュを応援される。みんなこの時間だと私みたいに駅員に慌てて確認したり走ったりしてて、駅員さんも笑顔で送り出してくれた。てか現地の人も駅員に確認するような分かりにくさなら電光掲示板の表示を改めろ。

何とか列車に乗りこむことに成功。でも今度は指定席が見つからない。列車の指定席は2日目前既に予習していたはずなのに、どうしても私のcoachが見つからない。ほかの乗客に聞いてみたけどみんなわからないといわれ、本当にこの列車か不安になりながらも適当な自由席に座った。

しばらくして駅員が1人ずつチケットの確認に来て恐る恐るスマホ画面を差し出すと問題なくクリア。良かったあ、まじ安心して血の気が復活した。このあと乗り換えあるの?と確認されそうだよと答えた。

ここでようやく安心して朝ごはんのクロワッサンを食べた。途中駅から乗ってきて隣に座ったアジア系の顔の人があまりにも日本人に見えて声かけようとしたけど、途中でめちゃくちゃネイティブに話しかけられ、危なかったと胸を撫でおろした。

 

50分ほど乗りSwindonという駅で降りて乗り換え。この駅は小さな駅でホームも4つしかない。でもさっきのことがあるから電光掲示板、インフォメーションのおじさん、ホームで待ってるお姉さん、一応アプリで確認して今度は全員からplatform2発だという情報を得た(これらの確認のために目的地駅の発音は事前に復習しておくとgood)さすがに間違いない。晴れているけど少し肌寒いくらいの心地いい天気のなか数分ホームで待ち、二両編成の小さな列車に乗り込んだ。

ローカルな感じで可愛い列車

どうやら学生の街が近くにあるらしく列車の中は中学生くらいでいっぱい。いっぱいと言っても座る場所が8割埋まってるかなくらい。黒人の中学生グループの中に1人元気に挨拶してはいっていった白人の男の子が声変わり前っぽくてめちゃくちゃかわいかった。

ここも50分くらいでようやく目的地グロスター駅に到着。着いたー!着けたぞすごい!異国の地で列車を乗り換え1人で目的地に来れた!もう空気が美味しいし嬉しくてニコニコしちゃう。駅前が工事してて駅を出るのにぐるっとまわって、目的のグロスター大聖堂へ。まだ8:45なので街並みは静かで人もあまりいない。グロスター大聖堂はボランティアの人が来るのは10:00からだけど7:30から開いてる、とネットで調べていたけど不安に思いながらも正面玄関まで行くと案の定まだ扉は閉まっていた。これは10:00まで開かないやつだなと察したのでぐるっと周りを一周してから街並みを歩く。相変わらずイギリスは街を歩くだけで絵になるし、すぐ豪華な建物が現れる。

朝からやってるオシャレなカフェが1軒だけあったので、入ってみた。

朝9:00から営業してる個人店って改めて何?ありがとう

椅子に座ってから注文かレジで話してから椅子に座るか分からず、とりあえずレジに行くと「○○○○○ UK?」と聞かれてイギリス人か聞かれたのかと思ってNOと答えると驚かれた。何かを間違えた気がして焦ってとりあえず注文したら、優しい笑顔で席に案内された。多分椅子に座ってから注文パターンだったし、あとから考えたら店の名前がLukaだったので、LukaをUKに聞き間違え、最初はLukaにようこそって言われたのにNoって答えたクソ失礼な客になったのかも。大反省しながら待っているとTheアフタヌーンティーの皿タワーと紅茶が運ばれてきた。イギリスだし紅茶飲まなきゃ、あとスコーンも食べなきゃ、とCreanTeaを注文したけどまさかこんなにどアフタヌーンティーが来ると思わず、朝9:30からこんなん頼む人いないんだろうなと恥ずかしかった。スコーン用のクリームとジャムはあまりにもたっぷりあって勿体ないから全部使ったら朝から血糖値爆上がりで死ぬかと思った。紅茶は自分で茶葉を引き上げるすべがなくて、どんどんどす黒い濃い紅茶になってカフェインで倒れるかと思った。でもどちらもとても美味しかった。

 

10:00になって店を出た。さっき私が失礼をした店員さんにHave a good dayと見送られまじ優しい人でよかったと心からのThankyouと「ご馳走様でした」が出た。英語でご馳走様でしたってなんて言うの、あといただきますも。

すぐグロスター大聖堂に向かおうと思ったけど目の前にピーターラビットの小さなお店があったので入った。ここは事前に調べた時に見つけていて、どうやらピーターラビットグロスターの話が出てくるらしく、その再現のショップらしい。母が好きなので少しお土産を選び優しそうなおばあさんにレジをしてもらって、ほくほくで退店。

 

ようやくグロスター大聖堂です。入場料はかからないけど5£の寄付金を求められたので快く支払った。入ると目の前にお目当ての回廊。すごい、見たことある、全部見た事ある。ここは賢者の石で城に入り込んだトロールをハリーとロンが影で見つけるシーン、秘密の部屋の継承者からの血文字が発見されたシーン、謎のプリンス冒頭で暇そうにしてたハリーがマクゴナガル先生に呼ばれるシーン、スネイプに詰められるマルフォイの姿をハリーが盗み見るシーン、で使われている廊下。つまりホグワーツの代表的な廊下のロケ地。中庭を四角く囲って四本の廊下、それぞれステンドグラスの配置や奥の廊下の扉の有無などがちがい、それぞれどの廊下がどのシーンで使われたのかをひとつずつ解析していく。興奮する。アマプラで逐一確認してここからハリーたちは歩いてきて、ここでマクゴナガルに声をかけられて。目線の再現と画角の再現。いくらでもいれる。まだ比較的早い時間なので、誰もいない廊下での写真も撮れる。applewatchのシャッター機能を駆使して1人再現写真を撮り、モンぬいをミセスノリス石化現場に置いて再現写真を撮り。

高い場所に置かれてかわいそうなりく

ざっと満足したら、この回廊しか見ないのも失礼なので大聖堂をぐるっと一周した。相変わらず各説明文は読めないけど、デカくて綺麗な大聖堂を回わりきったところで、もうそろそろチケットを買った列車が来る、駅に戻らないとまずい時間。

早足で駅に戻る途中GoogleMAPを確認すると、なんと私の乗る予定の列車に運休の文字が。確かにイギリスの列車はよく遅延したり運休したりすると聞いていたけど、まさかこんなピンポイントで?半信半疑で駅に向かうと、やっぱり運休の文字が。嘘だろ。駅員に確認すると運休したら次の列車で同じチケット使えるよ、1時間後だよ、と悪びれもせず。半笑いでOkと言うしかなく、どうしようもないのでもう一度グロスター大聖堂に戻った。

 

もう一度入場するときに寄付を求められたけどさっき払ったから、といったら伝わらなかったのか伝わった上かちょっと嫌な顔をされて傷ついた。また回廊に戻りもう心置きなくやろう、とことんやろう、と更に写真を撮りまくった。さっき見落としていた画角も発見し、有意義だった。そしたらさっきいなかったホグワーツローブを着たガチオタと居合わせ、お互いフォトスポットを譲り合いながら笑顔を交わした。ちなみにこの日の私はHarryのTシャツを着て死の秘宝マークのネックレスをしていたので、全然周りにオタバレしていた。あとイギリス人、めちゃくちゃ写真への配慮をしてくれる。こちらがスマホを構えていれば退いてくれたり通行を待ってくれたりする。日本も結構そうしてくれる人多いけどそれ以上にそう感じた。とてもあたたかい。

マクゴナガル先生に呼ばれたハリー再現

なんだかんだすぐ1時間たって駅に戻り、心無しが人が多いホームで予定の1時間遅い列車に乗った。そうだよね、私以外の運休被害者もみんなこの列車に乗るよね。でもみんな焦った様子も怒った様子もなく、こんな運休はこの国では日常茶飯事なんだろうなあと感じた。あと1時間遅れて怒られるような環境でもないんだろうな、羨ましい。日本ならそれさえ計算に入れて早く行動しろとかいうじゃん。いや、でも日本ってあまりにも交通が正確すぎるからこそ遅刻許されない文化なのかな。こんなに公共交通機関がぐちゃぐちゃなら誰も遅刻ごときで怒らないかな。

人が多いから2連で空いている席はなく、優しそうな読書をしているおばあさんの隣に声をかけて座る。ここから50分かけてまたSwindonに戻り、そこからまた乗り継いで次の駅へ行く予定。乗り換え先の列車も1本遅れたことになってるけどそこら辺のチケットは上手く大丈夫なように出来てるんだろうか。緊張感と疲労感で激疲れていたけど全然寝れず、50分後無事到着して電光掲示板で乗り継ぎ列車を確認する。するとなんと、こちらもまさかのピンポイント運休。嘘だろ。次の列車は40分後。既に予定から1時間遅れているのにこれ以上遅れたら帰りの時間に間に合わない。ここで頭を必死に働かせ次の目的地チッペンハムはこのSwindonから一駅先だと思い出す。つまり、ワンチャン別の目的地行きの列車でも通るんじゃないかと気づき調べてみると、あと2分後に別のホームから出る列車がチッペンハムも通るらしい。爆速でホームを移動すると、その列車も15分遅れているらしくセーフ。念のためホームで待ってたお兄さんに次の列車はチッペンハムに来るか確認して、あとはこのチケットでこの列車に乗れるかどうか。というか、列車の中でのチケット確認に合わないかどうか。一応運休トラブルがあったものの、チケットと全く違う列車に乗り込むのはさすがにまずいという感覚はあった。が、今までの経験上、チケット確認は数駅ごとにまとめて行う駅員と各駅乗車客を把握していて逐一確認する駅員がいたので、前者に当たればセーフという賭けだ。祈りながら平常顔で号車の一番後ろの影がうすそうな席に座り、腕を組んで寝たフリをした。頼む、来るな駅員、ほんの10分程度1駅なんだ許してくれ、せめてきても号車の前から来てくれ後ろの車両に逃げるから。すると後ろから開くドア、現れる駅員。終わった。逃げられない。事情を説明してわかってくれるか?そもそも説明できるか?と思っていたら、なんと、私をスルーして右斜め前に座る黒人兄ちゃんの元へ。そしてそのまま何人か飛ばしつつどんどん前の席へチケット確認をしていく。えっえっ、なんか無視された、嘘、ヤッター!安心しすぎておしっこ漏らしそう。これは憶測だけど、アジア人のこんなひ弱そうな女がまさか不正を働いてるなんて思われなかったんだと思う。日本のパスポートもその点で価値が高いらしいし。ありがとう先人のアジア人。大勝利のガッツポーズを掲げながら1駅先のチッペンハムに到着した。ほんまありがとう。さっきの大聖堂で一応神様にご挨拶してたんが効いたんだろうな。ほんと良かった。

 

もうさっきまでの疲れが嘘のよう。羽の生えた体で浮くようにスキップしチッペンハム上陸。でもここからがこの旅の一番の難関、市バス。先人ブロガーによると20分程度の遅延は当たり前らしい。しかもバス時刻表はネット上に何種類か見つかっていて、どれが本物かわからない状態。一応公式サイトらしきところに載ってるのを参考にしてきたけど、バス乗り場も何種類かあってすべてが不確定。だから早く着いておきたかったのに1時間も遅れているのでここからのミスは許されない。ひとまず公式サイトを信じると次のバスは30分後に駅から少し離れた場所から始発なのでそこを目指す。時刻は13:30。お腹がすいたけど店に入る余裕は無いのでファストフード店で謎の包揚げらしきものを買い、バス停で食べることにした。

中はグラタンで鶏肉はパサパサだった気がする

バス停に着くと3-8番くらいのバス停が横並びななっていてそれらしき表示と何人かの人が待っていた。とりあえずここであっていそうな雰囲気を確認できたので、さっき買った包揚げを食べた。あんまり美味しくないし緊張で胃が食べ物を受け付けないけど何とか押し込み完食した。予定時間の数分前にお目当てのX34というバスが来てひと安心。バスもタッチ決済がいけるので安心してタッチするとブーっと、エラーっぽい音が鳴ってビビる。どうやらSuica的な交通ICタッチモードとクレカタッチ決済モードの切り替えが必要らしく、二度目のタッチで無事乗れた。あと1分で出発予定時刻だよってタイミングで車掌がごめんタバコ吸っていい?といって出ていった。みんな笑ってたしいかにも田舎って感じでよかった。いいよ好きにしな。ちなみにここまでネット接続問題ないです。ほんとありがとう楽天モバイル

 

定時にバス出発。しかし経由駅は公式サイトとは違って若干焦る。あと運転相変わらず荒すぎ。あと車がボロいのか窓がガダガダずっと言っててうるさい。、あとこれは都内もだけど環状道路が多すぎるくせにみんな行儀悪くて環状内でガンガン前の車抜くからひやひやした。

ここから目的地のLacockは20分程度のはずだけど、変な経由してそうだしもう少しかかるかも。そんなことを思っているとふと気づく。あれ、これ降りる時どうすればいいんだ?今まで誰も降りてないので勝手がわからない。とりあえずまだ駅で1度も止まっていないから何かしらのアクションは必要だよね?声をかけるのか、このバスストップのボタンを押すのか。たぶん日本みたいにこのボタンを押すんだろうけど、どのタイミングで?日本のバスならアナウンスが「次は〜」と言ったら押すけど、そんなアナウンスは存在しない。もうGoogleマップで自分の位置情報だけを頼りに目的値のちょい前でボタンを押すしかなかった。そういえばブロガーたちが、乗る時に目的地の駅伝えとくといいよって書いてたの忘れてた。今から車掌の元に話しかけに行くには運転荒すぎて途中で転びそうだからむり。緊張しながら目的地のちょい前でボタンを押すと車内のランプが赤くひかり、ジリリリというベルの音が。そして段々と速度を落とすバス。良かった乗り越えましたバスの試練。おめでとう。ここが一人旅最終目的地Lacockです。

 

バスから降り立った足は震えていたと思う。もう感動。これを乗り越えた私に怖いものは無い。深呼吸して感動を味わいたいところだけど、ここでもゆっくりしている暇は無い。レイコックアビーというメインの修道院の他にこのレイコックという町には4つロケ地がある。それはHarryの実家とその両親が眠っている墓とスラグホーン先生の家とその町の入口の道だ。この4つの場所はネットで調べた限りでは明確な位置が分からず、町中を歩いて探すしかない。一応一周回るのに15分もかからない小さな町らしいけど、今も普通に人が生活している家ふたつとただの道はちゃんと見つけられるか不安なので急がなくてはいけない。

 

まずわかりやすい協会とその墓地。ここで写真を撮るのは気が引けるので一応一周して手を合わせて出てきた。するとその奥にどうやらそれらしい家が。木が覆い茂り少し壁の色も違うけど間違いない、ハリーが両親と住んでいた家だ。本当に今でも一般の方が生活しているらしいのであまり近づかず静かに観察、写真を撮った。自分の家が聖地扱いされる気分ってどんなだろう。どれだけこちらが息を潜めても見物されるのはいい気分じゃないだろうな。ごめんねという気持ちが勝ってあんまりちゃんと見れなかった。

 

少し歩くとすぐ例の道を見つけた。ここにハリーとダンブルドアが降り立ったのか。ここにロケ班が。ここにきっとカメラが。うゎ〜結構狭い道だ、画角を合わせてモンぬいにハリーが立っていた場所を再現してもらう。満足。まさかこんなにモンぬいが再現写真で活躍すると思わなかった。自撮りじゃ難しくてもモンならできるもんね、天才。でも同じ声ってだけで連れ回してごめんね陸。

姿あらわしで降り立ったハリーを再現させられるりく

少し町から外れた場所にようやくスラグホーンの家を発見。スラグホーンの家というか、スラグホーンが借りていたマグルの家なんだけど。こちらも一般民家なので遠巻きに見学。わざとかよってくらい家の目の前に車が止まっていたのであまりいい写真は撮れなかったけど仕方ない。眺め終わったらいざ、レイコックアビーへ。

 

これはスラグホーンの家から町の正反対の場所にあるので町を横断したんだけど、街の規模感に対して車と人がかなり多かった。やっぱり私みたいな観光客がある程度いるっぽい。しずかな小さい町なのに大変なことも多いだろうなあ。まあ私もその1人ですし絶対に隅から隅まで味わい尽くしますが。

遂にレイコックアビーに着き、チケットを購入。優しいおばちゃんが入場口と回り方を案内してくれた。しかしなんとこちら20£。約4000円です。いい商売してんなあ。しかし数々の困難を乗り越えようやく1人たどり着いた私にとって、もうそんなのどうでもよかった。この地に対する感動がすごくて、ほんとうに笑顔が抑えられないしなんなら泣きそうだった。興奮して動画まで回した。一歩一歩噛み締め、最後のロケ地に足を踏み入れる。入った瞬間ここだとわかる。知っている。中庭に差し込む日差しで芝生が眩しくて、白い壁はより白く見えて、もうここから出たくなかった。ここはクィレル先生の授業とスネイプ先生の授業とみぞの鏡の置いてあった部屋と賢者の石でハリーがヘドウィグを飛ばす場所のロケ地です。それぞれ別の部屋で、それぞれアマプラと照らし合わせながら確認する。周りのちらほらいる観光客たちにどんどん置いていかれながらじっくり確認していたら、カップルから写真を撮ってくれといわれた。もしやカップルのオタクか!?と思ったけど指定された画角が全くそれではなかったのでただにこやかに撮影終了した。やっぱチンさんが異常だっただけか。しばらく空間を満喫しているとどうしてもこの画角だけ再現して写真撮りたい、という場所が出来てしまい近くにいた1人客のマダムに声をかけてみた。すると何も言わないうちから写真?いいわよ!と快諾。この時点で泣きそうになりながら厚かましくも場所と画角を指定し写真を撮ってもらった。ほんとに宝物だよありがとう。でも後で見返したらしっかり目をつぶっていました。まあそれも込みで思い出です。

宝物の写真、目をつぶっています。

りくverも撮った

いい加減部屋の並んだロケ地の場所を離れ先に進むと、さすが4000円のチケットなだけあって、各スポットにガイドのおじいちゃんおばあちゃんが沢山いた。やけに長い間同じ場所にいたことがバレていて、Tシャツを指さされながらファンなの?と聞かれそうです!と言ったら改めてどの部屋がどのロケ地か説明してくれた。あとこの建物全体の説明も多分されたけどそっちはマジでわからなくて愛想笑いしちゃったごめん。建物全体をぐるっと回っていると椅子の上や段差など至る所になぞの植物が飾られていた。なにか重要な儀式的なあれかと思って聞いてみたら、ただの座らないでねってマークらしい。かわいー。

座らないでねマーク

一周回り終えても案外時間に余裕があって、もう一度ロケ地の部屋に戻ってしばらくゆっくりしていた。ほんとに帰りたくなかった。

 

泣きながらレイコックアビーを後にして、バス停に戻った。15分遅れでバスが到着し、なかなか優秀。一緒にバス停で待ってた兄ちゃんにお先にどうぞってされたんだけど、その仕草が英国紳士のそれでちょっとドキッとした。帰りのバスは終点まで乗れば駅前に連れていってくれるはずなので行きみたいなハラハラはなかったけど、なぜか乗った時と同じで駅から少し離れたバス停に降ろされた。まぁいいけど。

駅に戻る途中、フランスで見たのと同じような給水所があってちょうど手持ちペットボトルもほぼ空だったので水を汲んでみた。フランスの水が美味しかったので期待していたが、めちゃくちゃ不味かった。

駅に戻ってきて電光掲示板を確認すると、予定の列車はonTime。本当に良かった、これで帰れます。ここで全身の力が抜けた。列車の時間まで時間があるので緊張も解けホームでTwitterを確認し、推し絵師の新刊発売時間をイギリス時間に直してアラームをかけるなどした。帰りの列車は指定席で1時間ちょっと。ようやく余裕が生まれたので、父の様子が気になり連絡を入れると、とりあえず順調らしいとの返事。良かった生きてたしスリにもあってないらしい。

 

実はこのあとバックトゥーザフューチャーのミュージカルを父と観る予定があるので、帰りの列車の中で会場までの地下鉄と経路を確認した。正直いままで聖地巡りに集中しすぎて考えられていなかったけど、実はそんな予定もあった。でも普通に楽しみ。映画は予習してきたので英語は1ミリも分からなくても何となくわかるはず。30分程度余裕もって到着できそうだなーとわくわくしていたら、ガタン、と列車が止まった。もう驚きません。冷静にGoogleマップを確認しても、まあかなり都内に戻ってきてはいたのでそこまでの遅延にはならないだろう。読み通り結局30分遅れ程度で目的地に着いた。

 

しかし、30分遅れたということは30分の余裕が無くなったので、駅についてからダッシュで地下鉄に向かいダッシュで会場に向かった。会場前につくと開演5分前とかだったけどまだ結構人が並んでいた。スタッフさんにチケットを見せると1人?と確認されそうだと言うと何故か列をごぼう抜きして先頭まで案内され、すぐに荷物チェックをされ会場内へ。よくわかんなかったけどいいや、とチケットを確認しUpperCircleというエリアのJ4の席に向かった。席に座ると、隣の席にいるはずの父が居ない。当たり前のように先に着いていると思っていたので驚きつつ、LINEで「着いた」と連絡。もう3分前とかだけどどうしたんだろう。既読もつかないし、キョロキョロ辺りを見渡しても父らしき人は見当たらず、そうこうしているうちにショーが始まってしまった。

 

華やかな照明音響と観客の大声援の中、集中したいのに行方の分からない父がどうしても心配すぎる。さっき順調らしいLINEの返信はきたけど、そこから今までの間に何かあったんだろうか。ここについていないのはいいとして、連絡もできないレベルの事が起きてるのか?警察に捕まったとかスマホ無くしたとか?周りの迷惑にならないようにスマホを開いて「迷子?」と連絡を一応入れて、とりあえず今のわたしにできることは無いからショーを楽しむことにした。開演数分前のLINEから既読もないってことは、もしかしたら開演ギリギリに来すぎて会場に入れずロビー的なところでモニターで観てるのかもしれないし。とにかく勿体ないのでここからはショーに集中しよう。内容は映画とほとんど同じだけど所々ストーリーが変わっていて、結構コメディチックな部分が多かった。私の席は3階だから演者の顔はほとんど見えなかったけど逆にほぼ映画の俳優と同じに見えた、再現度すごい。英語が分からずみんなが笑ってるのにわからない、みたいなことは沢山あったけど、基本ミュージカルで歌進行なので何とかなった。

 

1時間程で途中休憩があり、スマホを確認すると父から大量の着信が。良かったとりあえず生きてるみたい。急いでかけ直す。

 

私「どうしたんだよ」

父「それはこっちのセリフだよ」

私「は?」

父「は?どこにいるんだよ」

私「それはこっちのセリフだよ、劇場だよ」

父「は?劇場ってミュージカルの?」

私「そうに決まってんだろ、そっちはどこなんだよ」

父「ぼくも劇場だよ」

私「は?????どこに座ってんの?」

父「J5だよ、どこに座ってんの」

私「J4だけど?????????」

 

パラレルワールドとかに飛ばされたのかと思った。

父はどうやら2階のJ5に座っていたらしい。そこは運良くJ4共に空席だったので間違いに気づくことなく私が来ないからと心配していたんだと。呆れてものも言えない。てかまず連絡しろよ、こちらは会場に着いたことも、迷子?という心配も連絡したんだから。ひとまず父の席で合流すると私の席というか正規の席よりいい席だから、どうせバレないしこっちで見ることにした。合流してひとしきり早口で互いの言い分と文句と状況を共有しながら、周りから見たらすごい勢いで異国の言葉を喋る私たちはかなり怖いだろうなと思った。

でも結果的にいい席で後半のショーを観ることができて、まあ、良かったです。今回ばかりは父も自分の非を認めていたので満足。ショーもすごく面白かったし。日本ってノリのいい曲流れると結構すぐ手拍子する印象なんだけど、イギリスはあんまりそういうのなかった。最後のエンディングショーみたいのだけあったけど。

終演後外に出るともう22:00を過ぎていた。しかもめちゃくちゃ寒い。でも今日は最後の夕食なのでさすがにフィッシュアンドチップスを食べようと決めていた。少し歩いて23:00までやっている店に向かう。途中しらない劇場の前にありえない人混みができていて、誰かの出待ちらしかった。初めて見たああいうの。

何とか閉店30分前に駆け込み入店。ビールと白ワインとフィッシュアンドチップスを頼んだ。私の白ワインは全然こなくて、店員さんに言ったらごめんねー!と並々注いでサービスしてくれた。でもめちゃくちゃワイン不味くてキツかったので父にあげた。

フィッシュ&チップスとなみなみのワイン

フィッシュアンドチップスはつまり白身魚のフライとフライドポテト。フライは美味しかったんだけど味付けがほぼなくて、何が正解かわからないまま食べた。本当はとんかつソースとか欲しかったけど、ケチャップと塩コショウとバルサミコ酢しかなかった。バルサミコ酢は容器だけみてそれっぽいなというだけで本当にそうかわからなかったから、少し使っていた父にそれ何?と確認したら「僕に味を聞かないで」と言われた。4日間で馬鹿舌の自覚を持つようになっていて感動した。確認したらバルサミコ酢だった。

もう閉店作業が始まっていたので急いで退店し、またそこから15分ほど歩いてホテルへ。もう足が限界でゆっくりしか歩けなかった。

 

明日は飛行機に乗って帰るだけだから身支度も要らないし、ゆっくり起きてゆっくりご飯食べて荷造りしてホテルを出よう。寝不足くらいが飛行機と時差ボケにはちょうどいい、と風呂に入ってからもだらだらベットの上でスマホをいじっていた。すると突然、ジリリリ!!!!とけたたましいベルが鳴り響いた。たぶん報知器から、でも特に火の出る行為はしていない。寝ぼけた父を横目に廊下に出ると、みんな部屋から顔を出してどうしたの?とアイコンタクトを交わしていたけど誰も分からない様子。すると何人か荷物を持って非常階段に向かう人が出てきて、みんなその後について行った。

父に現状を伝えると、スンスンと鼻を鳴らして煙の匂いを確認したあと、大丈夫だろ、と言ってまた眠り始めた。まあその気持ちはわかるけどよく異国の地でその感じできるな。私は一応貴重品だけ持ってスリッパのまま非常階段に向かった。

人は沢山いるものの、みんなそんなに危機感を持った顔はしていなくてまあ誤報かなあという雰囲気だった。今回は私もそんな気がしたけど、これで1つ誤報を経験したせいで本物の時に意識が低くなったら怖いなと思った。非常階段をダラダラ降りているうちに、警報が止まったりまた鳴ったりするようになった。もうこの時点で誤報は確定だと思ったので、1人引き返して部屋に戻ると案外焦った様子の父に迎え入れられた。でもなんかよくわかんなかったと伝えると、また寝てた。私も寝ようとしたけど繰り返し短い警報が鳴ったり止んだりして不安を煽られたし、下の様子も気になったので、もう一度非常階段で1階まで行ってみた。

すると結構たくさんの人が道路に避難していて、警備員が避難所の看板を掲げていた。

道路に避難したたくさんの人

 

特になにかの情報を共有されるでもなくただ人がいるだけだったのでまた部屋に戻ろうとしたら、警備員にまだ部屋には戻れませんと言われてしまった。そりゃそうだよね、ミスった。かなり寒いのにペラッペラの部屋着で来てしまった。しかもこれだけの人数、部屋に戻っていいよってなったとしてもかなり混雑するだろう。案外道路側で屯してる人が多かったのでとにかく入口近くに行ってスタートダッシュを切れるように準備した。すると入口付近は比較的アジア人が多く、これも国民性かとまた学んだ。

アルミの毛布みたいなのが配られて暖を取り始めた人がいるなか、どこかで誰かが何かを言ってその途端みんながいえーいと走り出した。なんもわからなかったけど多分警戒状態が解除されたのだろう。隣の兄ちゃんたちが端の方にある扉をちらっと開けて、ここに階段あるぞ!とコソコソやっていたので便乗させてもらってそこから7階まで登った。

部屋に帰ると父はいびきをかいて寝ていた。今回に関してはあんたが正しいよ。もう2:00を超えていたのですぐ寝た。