通勤

理想の通勤時間アンケートというものを先日Twitterで見かけました。

10分以下、10-30分、30分以上、の選択肢があって真ん中の時間が1番票数を獲得していました。私も多数の人間と同じくだいたい20分くらいが理想かなと思いそれ通りの場所に家を借りているのですが、今だけ期間限定で約1時間の通勤を強いられています。

一人暮らしをする前は実家から1時間20分かけて毎日通勤していたので、1時間はそれほどの苦痛ではないだろうとタカをくくっていたのですが、それが間違いでした。なんと、めちゃくちゃ快適。すこぶる快適。通勤時間を理由の一つに一人暮らし始めたくせに、これじゃ今の貯金ゼロ限界社会人生活をなんのためにやってるのかと思います。まあ他にも得るものは沢山あるので一人暮らしはやめませんが。先程の理想通勤時間のアンケートでは、1位が10-30分、2位が10分以下、そして大差をつけて1時間以上だった気がします。ここでこの結果を振り返るとなんか天邪鬼な感じがして良くないですが、続けます。では何故、大半の人間が嫌う長時間通勤が私にとって快適なのか。それはあまりにも簡単なことなのですが、殆ど座ることができるからです。わかります、座ることができるからといって長時間拘束され、起床時間が早まることで睡眠時間を削られ、他人と至近距離で箱に押し込められることの何がいいのか。でも、立っている時と座っている時の圧倒的差は単純に疲れないだけではありません。ある程度自由を拘束され、しかも決められた時間の中でただ座っているだけの時間があると、何かをしようと思えるのです。しかも毎日決まった時間、朝と夜の2回ずつ。いきなりポンと椅子に1時間拘束されても、なんとなくTwitterをみてネットショッピングして、ダラダラと生産性なく終えてしまいます。しかしこれが毎日同じ時間に、と言われると「ならこの時間を使って何かを進めよう」と思い、電車で椅子に座った途端にSNSをスクロールするのではなく、理想の行動をしようと思えるのです。例えばドラマを見ようと思えば一日の往復で2話ずつ見れますし、読書をしようと思えばそれなりにいい速度で読み進められます。どちらもただの娯楽ですが、私にとって娯楽を享受することは結構ハードルが高いかつ重要なことなので、これは結構画期的なことです。

ですが、これを実家暮らしの延長でもできていたかと言われると難しいなと思います。つまり私が今1時間の通勤時間を楽しめているのは、20分の通勤時間を生産性なく半年以上経験して時間を有効活用したいという気持ちが強くなっていた、という地盤があってこそです。私は想像力が皆無なので経験しないとわからないし、そのために環境の変化を沢山したいな、と常々思います。話が飛躍し過ぎだとは思いますが、結局何事もそこに落ち着くなあと、思います。しかもそれは昔の方がより思っていた気がします。え?それに今、気づいて恐怖を感じました。環境の変化を望んでいたのが過去の私しかいないなら、私はその理想を無視していることになります。社会人として、特に私の職種は数年では意味が無いと思っているので、コロコロと環境の変化を求め続けるのは難しいことではありますが、環境は職場だけでは無いはずです。もっと考えて進化しようぜ、成長したいぜ。自分に飽きる前に自分を振り返り考えを改めることができるのも、長時間通勤のいい所ですね。ちょうど新橋に着いたので終わりにしようと思います。