女を意識する女

 

 

我ながら、極端な人生だと思っています。

 

 

高校は女しかいなかったのに、大学は男しかいない。熱湯の後に冷水を浴びるようなこの環境の変化は、私にどんな影響を与えたのでしょうか。

 

大学で一番しんどかった時期、男社会での立ち振る舞い方がわからなかったのが心労の一番の原因でした。女しかいない環境でならやりたいことをやれていたのに、行動する前に、何をするとどうみられるかを余計に考えなくてはいけない。男だらけの中で、どうしたら摩擦を生まず自分のやりたい仕事ができるか。それを考えている時は仕事と自分の間に不透明な壁があるような、そんな感覚でした。

 

 

結局、女というのはおしとやかに男の言うことを聞いて、頭を動かさない事を求められているのです。

 

 

全く納得も実行もしませんでしたが、考えるほどこれが最適解だと思い知らされた数ヶ月でした。ちなみに今後、私のような環境に立たされる人がいた場合のアドバイスなんですが、男社会での最大の敵は、先輩の女です。先駆者の女は悲しく凝り固まった思考になっています。恨むべきはその女ではなくその環境ですが、変化を求めるなら先ずは味方を増やすのが有効です。

 

 

 

話は変わりまして、私はいま、接客業をしています。

 

今度は年寄りに囲まれて、大きな声でハキハキ喋らないと言いたい事が物理的に伝わりもしない環境です。

 

特に耳が遠かったり、半分ボケかけていたり、コミュニケーションを取るのが難しい相手も多いのですが、そんな時私はどうしても、伝わりやすさや簡潔さを意識して、口調が強くなってしまいます。これは私の治さなくてはいけない点で、なるべく口調を柔らかく!と意識しているのですが、先日その件で上長に少し怒られてしまいました。

 

その方は非常に優しく、怒るとも言えない口調で優しく私に指導してくだっさって、私は反省や後悔より先に申し訳ない気持ちにさえなったのですが、その時に一つだけ。気になることを言われました。

 

 

皆さんは「モテる女のさしすせそ」って知ってますか?

 

 

その名の通り、モテる女に必須の言葉五選なのですが、

 

さ 流石

し 知らなかった

す すごい

せ センスいい

そ そーなんだ

 

 

というもので、これを接客に取り入れてみてねと言われました。

 

別にこれを提案してきた上長がどうだとか、接客でいうのが嫌だとかそういうのではないのです。ただこれが、「モテる」「女」のというところが妙に引っかかってしまいました。

 

もう皆まで言わずとも、私の言いたいことはわかると思うのですが。

 

女はモテるために、つまりは男に好かれるために、馬鹿にならなくてはいけない。何だそれ、気持ち悪い。しかもこの時、職場の女でこの「さしすせそ」を共有したのですが、それを嬉々としてメモを取り何の抵抗感もなく受け入れている同僚の女を見て、私はさらに落胆してしまいました。

 

ここで話は戻りますが、やはりこの環境の敵は男だけではないのです。私はこの時、接客のテクニックとしてこれを頭にインプットしましたが、絶対に女として使うものかと誓いました。

 

 

 

 

でもその後、あまりにも素直に受け入れる周りの子たちをみて、私は捻くれているのだろうかとも思ってしまいました。

 

女と男の極端な環境に染まりすぎて、私は必要以上に男女を意識している気もします。男に抵抗しなくては、女として自立しなくては、どこまでが中立なのでしょうか。

 

女だけ、男だけ、のような環境を通った人間の意見が偏るのは仕方がないかもしれません。でもどちらも通った私は、偏った意見を偏った型で矯正されてしまいました。それに加えてこの客観と主観のあやふやな性格で、もう何が正解で何が自分の気持ちかわかりません。

 

 

男女平等問題が騒がれる昨今ですが、どちらの意見も正しくない。最近、そんな気がしてきています。男の気持ちは知りませんが、女の方も「抵抗しなくては」という気持ちが前に出過ぎて、中立を見失っている時もある気がします。

 

ほとんどの人間が男か女に分けられるこの世の中で、一般的な中立なんて存在しないのかもしれません。男と女ではなく、二人の人間の中立を見つけなくてはいけない場面なのに、議題を男女にすり替えている場面だって多いです。

 

 

何の話をしているのかわからなくなったところで、今回は終わりにしたいと思います。女以前に、人間として成長したいですね。